WW2期欧州の戦闘機には、機首のプロペラ部分の中心に機関砲の砲口を設けた、つまりプロペラシャフト(駆動軸)を筒状にし、そこに砲身を通しているものが見られます。なぜ、このような面倒をする必要があったのでしょうか。
1935(昭和10)年、ドボワチン D.501という画期的な機構を持った戦闘機がフランスで運用開始されました。いわゆるレシプロ機(レシプロエンジンでプロペラを回し推進力を得る飛行機)であるこの機体には、プロペラシャフト(駆動軸)を中空構造にして、その中に機関砲を通し砲弾を前方へ発射するという「モーターカノン」が搭載されていました。機体を正面から眺めると、プロペラの中心に機関砲の砲口が開いている、というわけです。
メッサーシュミット Bf109 G。プロペラ部分の中心に砲口が見える(画像:国立アメリカ空軍博物館)。
駆動軸を中空にするとなると、そのぶん複雑な機構になるわけですが、なぜ、プロペラシャフトに無理やり機関砲を通す必要があったのでしょうか。それは、当時の戦闘機の構造的問題が関係しています。
機関銃や機関砲は、パイロットが照準しトリガーを引く(別に銃手が搭乗していない)戦闘機の場合、機首に近ければ近いほど照準精度は高くなり命中率が向上します。この「機首に近づける」ということが、第2次世界大戦期までの単発のレシプロエンジン戦闘機にとっては、現在のジェット戦闘機以上に大きな悩みの種となっていました。主流は機首にプロペラを備えるカタチであり、そしてそのプロペラそのものが邪魔だったからです。
「銃」から「砲」へ 空中戦闘の重装化が生んだ「モーターカノン」戦闘機が初めて戦場に投入された第1次世界大戦中、プロペラに弾丸が当たらないように、プロペラの回転に合わせて機関銃の発射を調整する「同調装置」というものが登場し、ひとまずはこの命中率の問題は解決します。
やがて戦間期、戦闘機が金属製の単葉機になり、爆撃機なども重武装、重防御化が進むと、りゅう弾などを使える威力の高い口径20mmクラスの機関砲を備える必要に迫られます。
そこで翼内に機関砲を搭載したものの、機首から遠いという問題がありました。翼内の機関砲は、照準の関係からパイロットから見て進行方向中央に弾が集まるように、左右に傾斜をつけて複数銃の弾道が一定距離で交差するようにしていました。つまり照準に、真っ直ぐ飛ばすのに比べ標的との距離の要素がより影響することになり、そしてもちろん命中率は落ちます。その解決策のひとつとして登場したのが「モーターカノン」でした。

機関砲を通す穴の空いたDB605エンジン。Bf109の後期型などに搭載された(画像:Ssaco、CC BY-SA 3.0〈https://bit.ly/3DHZIps〉、via Wikimedia Commons)。
モーターカノンにはこのほか、機体中央にあり重心が安定しやすいことから、大口径砲を搭載することができるという利点もありました。
ドボワチン D.501に搭載され、世界へ大々的に宣伝された20mm機関砲イスパノ・スイザ HS.7/9は、モーターカノンという機構を世界中に認知させるとともに発展改良を進め、第2次世界大戦勃発当時の主力機モラーヌ・ソルニエ M.S.406まで、フランス空軍でモーターカノン搭載機の系譜が続くこととなります。
日米は断念した「モーターカノン」しかし、狭いエンジンルームに大型の機関砲を押し込めるというのは、技術的に簡単ではなく、最初にモーターカノン搭載機を量産したフランスでは不調の多いものだったそうです。
アメリカでも、エンジンを操縦席後部に置き、プロペラは機首のM4 37mm機関砲の砲身周囲に配したギアを介して回すという、外見はモーターカノン搭載機に似ていても中身は全く異なるP-39「エアラコブラ」が登場しますが、大口径機関砲と引き換えに鈍重な低性能戦闘機となってしまい、この分野には消極的になります。

P-39「エアラコブラ」のパワートレーン。奥のエンジンからプロペラ軸がのびる。機首に砲口があってもモーターカノンとは構造が異なる(画像:国立アメリカ空軍博物館)。
日本に関しては陸海軍ともに、プロペラの駆動軸を回すクランクシャフトを中心にシリンダーが放射状に配される形状の星型エンジンが主流でした。これは空冷に適した形状で、技術的問題から液冷方式のエンジンを積極的には採用できなかったという背景もあります。そして星型エンジンはその形状ゆえに、モーターカノン化は大変困難なものでした。
陸軍では、輸入したD.501を参考にモーターカノン搭載機を試作したものの、量産はしませんでした。ほか、九七式戦闘機において星型エンジンのすき間に機関銃を通し、モーターカノンのような武装にする方法も試され、実用化されましたが、すき間を通す関係で口径が制限されるデメリットがありました。そして高出力化にともない星型エンジンが多段化された後年には、構造上機銃や機関砲を通すことがさらに厳しくなったため、考慮の対象外とまりました。
海軍でも九六式艦上戦闘機のエンジンをフランス製の「イスパノ・スイザ12Xcrs」に換装し、モーターカノン化した機体を試験しますが、エンジンの調達困難などを理由に試験中止しています。
独ソでは重要装備になるも…最大の欠点は柔軟性かこの武装に大戦中、最も研究熱心だったのはドイツ空軍でした。スペイン内戦時からの主力戦闘機であるBf109の、1941(昭和16)年春頃から登場したF型以降は、マウザー社製の20mm機関砲 MG 151をモーターカノンとして搭載し、従来の炸薬比率が高い高火力のりゅう弾を使用することで、絶大な火力を誇りました。
またソビエト連邦空軍もShVAK 20mm機関砲が、Yak-1からYak-9までのYakシリーズやLaGG-3といった戦闘機のモーターカノンとして使われ、ドイツ軍よりもモーターカノンを多用しています。

メンテ中のBf109 F型(画像:Bundesarchiv、Bild 101I-390-1220-20/Reiners/CC-BY-SA 3.0、CC BY-SA 3.0 DE〈https://bit.ly/2WJjXCi〉、via Wikimedia Commons)。
最終的に30mmクラスのモーターカノン搭載機も現れましたが、砲を大きくすれば、それを通すエンジンの方も再設計が必要になるということで、高度な金属加工技術や膨大な手間が必要でした。
大戦中の急速なエンジン性能向上についていくためには、モーターカノンは明らかに柔軟性を欠いていましたが、米英軍の4発大型爆撃機を相手にしなくてはならないドイツ軍機は機首に集中した1発ごとの高火力を期待し、モーターカノンを使い続けるしかありません。そのため、振動源であるエンジンのシャフトに機関銃を通しているという構造的な問題から発生する、給弾不良などのトラブルに大戦を通して悩まされることになり、防空に必要であるBf109の稼働率の低さなどを招いてしまいました。
なおアメリカ軍では、現在でも使われているブローニングM2重機関銃を航空機銃にした12.7mm機関銃を、命中精度や火力を上げるために多数、翼内に搭載し、その重量を大馬力のエンジンで補うという方法を取ります。イギリス軍も同様に、12.7mm機銃やそれ以上の大口径砲を翼内に多数、積みました。結局、「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」方式をとった方が、精密でデリケートなモーターカノンを使い続けるよりも合理的であり、柔軟性もあったといえるかもしれません。