第2次大戦前半、国産空冷エンジンで戦果を挙げたイタリア製戦闘機は、その後現れた高性能な米英機に対して劣勢を強いられます。そんな状況を打破したのは、盟友ドイツの強力な液冷エンジンでした。

新エンジンによって高性能を手にした「猟犬」

 一般に、料理とワインの相性などで、互いに引き立たせる良い関係を、結婚にたとえて「マリアージュ」と呼びますが、自動車や航空機など工業品においても国境を越えてやり取りした例があります。たとえば、イタリアの自動車ブランドであるアルファ・ロメオは、近年、電装系をドイツのボッシュ社製に変更して故障が減少し、クルマとして完成度が高まりました。これはイタリアの良質なデザインにドイツの優れた工業技術を合体させ、外観・性能ともに優秀なクルマを作るという、一種のマリアージュと言えるものでしょう。

 そうした例のひとつに、ドイツ製エンジンに積み換えて大変身を果たしたイタリアの戦闘機があります。戦前のイタリアは量産しやすい星型の空冷エンジンを多用していました。しかし、それらエンジンはドイツやイギリスの同種のものと比べると出力が低く、ゆえに主力戦闘機であったマッキMC.200「サエッタ(稲妻)」は馬力不足で性能が頭打ちとなります。そこで採られた打開策が、ドイツ製の高出力エンジンへの換装でした。

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1943年夏、サルデーニャ島カポテッラ基地で翼を休めるMC.205V「ヴェルトロ」。胴体の白い帯には、3匹のネズミを捕まえる猫の同航空団マークが描かれた(吉川和篤所蔵)。

 国産の870馬力空冷エンジンから、ダイムラー・ベンツ社製の水冷式DB601型エンジン(1175馬力)に更新したことで、最高速度は600km/hも出るようになり、見違えるほど高性能になります。結果、型式も愛称も改められ、MC.202「フォルゴレ(電光)」として、再びイギリスやアメリカなどの連合軍機と互角に戦えるようになりました。

 これはエンジン性能だけでなく、もとの基本設計が優秀であったからこそといえるものでした。

この機体設計の優秀さは、MC.202がその後も繰り返された米英の戦闘機の性能向上によって、再び不利になった際にも生きます。

 イタリアではエンジンをより高出力なDB605型(1475馬力)に換装した機体の開発が1941(昭和16)年から始まりますが、MC.202を全面改修した新型機MC.205N「オリオーネ(オリオン座)」と、MC.202の小改修で終えたMC.205V「ヴェルトロ(猟犬または魔犬)」の2機種を同時に短時間で開発できました。

 量産性などの理由から後者が採用されましたが、そのMC.205Vは最高速度が642km/hに向上し、第2次世界大戦終結までに250機以上が生産されています。戦後はエジプト空軍でも使用され、1949(昭和24)年1月7日にはイスラエル空軍のP-51D「ムスタング」戦闘機を1機撃墜する戦果まで挙げており、中東においてもイタリア機の優秀性を示しました。

「醜いアヒルの子」新エンジンで白鳥へ

 イタリア製の機体にドイツ製DB605型エンジンという組み合わせは、MC.205V「ヴェルトロ」のほかにも存在します。そのひとつがフィアットG.55「チェンタウロ(半人半馬)」でした。

 このベースになったのはG.50「フレッチア(矢)」戦闘機。これはMC.200に比べて空戦性能がいまひとつで戦果もパッとしないものでした。そこで機体と主翼を大幅に改良してドイツ製DB605型エンジンを搭載したところ最高速度620m/hを記録、運動性能も良好だったことから、採用されます。

ドイツ技術+イタリアデザイン=最強!? エンジン換装で生まれ変わったWW2イタリア機3選

1944年7月、北イタリアのヴィチェンツア基地におけるイタリア社会共和国空軍第I戦闘航空群第3飛行隊所属のG.55。明るい茶系ベースに濃緑系のストライプ迷彩である(吉川和篤作画)。

 G.55「チェンタウロ」は、前出のMC.205とともに早期の配備が望まれましたが、量産にあたりエンジン供給が問題となります。

これはDB605型エンジンをドイツからの輸入に頼っていたからで、ドイツ国内向けの生産が手一杯でなったことで生じた問題でした。

 そこで、フィアット社はエンジンもライセンス生産して賄うこととし、自国製のRA1050RC41型「ティフォーネ(台風)」エンジンを開発。しかし初期不良や工場爆撃などに悩まされ、G.55「チェンタウロ」の部隊配備は1943(昭和18)年まで遅れたのでした。

 終戦までに完成したG.55は約150機程度でしたが、12.7mm機関銃2基と20mm機関砲3基の重武装は大型爆撃機を迎撃するのに有効とされ、ドイツ空軍も1943(昭和18)年2月にイタリアへ使節団を送り、他のイタリア製戦闘機と共にテストし、模擬空戦まで行った結果、G.55に最高評価を与えています。

 なおG.55「チェンタウロ」も、第2次世界大戦後には地上攻撃機に改造された機体がエジプトに19機、シリアに16機輸出されており、第1次中東戦争ではイスラエル空軍のP-51「マスタング」戦闘機とドッグファイト(格闘戦)を行っています。

新エンジンで健脚を手に入れた「射手」

 さらに、ドイツ製DB605型エンジンに換装したイタリア製戦闘機が、レッジアーネRe.2005「サッジタリオ(射手座)」でした。原型はRe.2002で、翼形状などはほぼそのまま受け継がれますが、横長の液冷エンジンを積むために機首が細長くなったことで、全体にスマートで流麗な印象に生まれ変わりました。1942(昭和17)年9月に試作2号機が初飛行を行い、最高速度628km/hの高性能を出しています。

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1943年6月、ローマ近郊のリットリオ基地に駐留した第42戦闘航空団第22航空群第362飛行隊のRe.2005。胴体の識別用白帯の上には案山子の部隊マークが描かれている(吉川和篤作画)。

 ただ、マッキMC.205Vや、フィアットG.55の方が生産性に優れるとされ、レッジアーネ社の新型機は後回しにされました。それでも戦況の悪化に伴い新型機の導入が望まれたことでRe.2005として制式化されたのです。

しかしDB605型エンジンのライセンス生産が遅れたため、1943(昭和18)年9月のイタリア休戦までに完成した機体は32機だけでした。

 とはいえ、Re.2005は少数ながらも、持ち前の高性能を発揮して、休戦直前の1943(昭和18)年4月から6月のわずか2か月のあいだにアメリカのB-24大型爆撃機を7機も撃墜しています。7月のシチリア島防衛戦ではイギリスの高性能戦闘機「スピットファイア」2機を含む敵機5機の撃墜戦果を挙げており、ほかにも多数の撃墜を記録して迎撃機としての優秀性を示しました。

 マッキMC.205、フィアットG.55、レッジアーネRe.2005は、型式の末尾から3機種まとめて「セリエ5」(5シリーズ)とも呼ばれています。3機種とも遅過ぎたデビューと、少ない生産数(配備数)から実戦ではその真価を充分に発揮できずに終わりましたが、イタリア生まれの機体性能を、ドイツ製エンジンで極限まで引き上げた好例といえるでしょう。

 まさしく、この「セリエ5」は、戦争が生んだ「マリアージュ」、イタリア語ならば「マリアッジョ」と言えるのかもしれません。

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