二度の世界大戦で、軍艦や輸送船は潜水艦の魚雷をかわすため、船体に奇抜な迷彩塗装を施していました。周囲の風景に溶け込ませる陸上兵器の迷彩とは、そもそも発想が異なる当時の軍艦の迷彩を紹介します。

潜水艦対策で幾何学模様をペイント

 第1次世界大戦から第2次世界大戦にかけて、多くの軍艦に奇抜な迷彩塗装が施されていました。現代でも迷彩は周囲の環境と区別しにくくするため、軍服や戦車などに見られます。しかし当時の軍艦に見られる迷彩は、むしろ姿や形を見誤らせて狙いを逸らすために、あえて奇抜で派手な図柄にしていたのが特徴でした。幾何学模様が交錯する艦艇迷彩とはいったいどのようなものだったのか、そのあたりの事情を見てみましょう。

 19世紀後半、日本やアメリカなどの軍艦は白く塗られていることが多々ありました。それが20世紀に入る前後に、現代でもなじみのある灰色に塗られるようになったのです。その理由は、灰色の方が海や空、曇天の景色に同化しやすいためでした。

 灰色も迷彩塗装の一種ですが、潜水艦の登場をきっかけに、軍艦の迷彩は劇的な変化をとげるようになったのです。

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1918年頃、アメリカ戦艦「ネブラスカ」にペイントされた実験的な迷彩(画像:アメリカ海軍)。

 そもそも、潜水艦の魚雷は大砲よりも目標に到達するまで時間がかかります。そのため潜水艦が目標にした船を潜望鏡で捉えた際に、そのときいる位置に向けて魚雷を発射しても、命中しません。なぜなら、魚雷が進む間に船が目標の位置から先に進んでしまうからです。

そのため、潜水艦は魚雷が命中するように船が進む方角に向けて、未来位置を予測して発射するのがセオリーでした。

 潜水艦が魚雷を発射するためには、まず目標に対する「距離」「方角(針路)」だけでなく、大型の戦艦なのか、高速の巡洋艦なのか、はたまた低速の輸送船かといったような船の「種類(艦種)」と「速力」といった数値が事前に必要となります。それらのデータを発射指揮盤という機械式アナログ・コンピュータに入力すると、高校の数学で習う三角関数を基本にして、魚雷を命中させる位置が決まります。

縞模様に波模様、多彩な図柄が登場

 潜水艦の魚雷は、4門から6門ある発射管から、少しずつ放射状に角度をつけて30秒ほどの間隔で発射していきます。こうすれば一定の幅と時間差で魚雷が進むようになるため、命中する確率が高まります。

 ここで船の側からすれば、自分の大きさやスピード、進行方向などの数値を潜水艦に読み間違えさせれば命中する確率を下げることができます。つまり、第1次世界大戦で登場した複雑な模様の艦艇迷彩は、敵潜水艦が必要とするこれらのデータを見誤らせるのが目的だったわけです。

奇抜すぎる「軍艦の迷彩」何のため? 大戦中のシマシマ 幾何学模様…陸とは発想が違う
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典型的なダズル迷彩。アメリカ海軍の輸送艦「ウェスト・マホメット」(画像:アメリカ海軍)。

 こうした当時の艦艇迷彩で最も特徴的だったのは、イギリス海軍が最初に採用した「ダズル迷彩」です。「ゼブラ」ともよばれる白と黒の縞模様を複雑に組み合わせたダズル迷彩は、「艦種」の識別を困難にさせます。

 これは冒頭に述べた、灰色が景色と同調するのとは逆の効果、すなわち目立つ模様を施すことで船の形をわからなくさせるという発想でした。

さらに形だけでなく、前後も区別しにくいために針路も掴みにくくさせる効果も期待できます。

 ダズル迷彩を端緒にイギリスでは試行錯誤が重ねられ、いろいろな艦艇迷彩が考えだされました。たとえば、艦首に大きな波頭を描いて速力を擬装したり、斑点模様や波打つ縞模様を描いたりと、多くのパターンが生み出され、用いられました。

 アメリカも第1次世界大戦中から艦艇迷彩の研究を始め、パターン化した「メジャー(基準)迷彩」を採用しました。こうした艦艇迷彩はイギリスとアメリカだけでなく、ドイツやイタリア、そしてフランスも使用しています。

 当時の艦艇迷彩は大西洋や地中海の海戦で多く見られましたが、アメリカは第2次世界大戦の太平洋でも艦艇迷彩を使用しています。なお、日本はアリューシャン列島で作戦を行った軽巡洋艦や、民間商船を徴用して武装化した特設巡洋艦の一部に迷彩を施していました。

その効果はというと…?

 その頃の特殊な例として、空母の飛行甲板に描いた迷彩があります。古いところではイギリスの空母「フューリアス」の初期に、縞模様が甲板に描かれていました。

 日本では1944(昭和19)年10月のレイテ沖海戦で、空母「瑞鳳」や「瑞鶴」が艦橋や大砲のシルエットを飛行甲板に描いた例があります。

 こうした飛行甲板の迷彩は、航空機に対して空母以外の軍艦に擬装しようとしたものでした。しかし、アメリカ軍機が撮影した「瑞鳳」の写真を見ると、搭載機が発着艦の目印にするための白線が目立っており、迷彩の効果はあまりなかったのではないかと思われます。

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レイテ沖海戦時の空母「瑞鳳」(画像:アメリカ海軍)。

 奇天烈な図柄のオンパレードといえる艦艇迷彩でしたが、残念ながら、第1次世界大戦と第2次世界大戦、いずれも多くの商船が潜水艦に沈められています。艦艇迷彩に絶大な効果があったという話はありません。少しでも狙いが外れてくれればよい、という程度の代物だったようです。

 第1次世界大戦当時は目視で照準を定める時代だったので、迷彩は視認性(ビジブル)を低くしたり、攪乱させたりするものとして重視されていました。そのため、艦艇迷彩という発想も必然的なものでした。

 第2次世界大戦ではレーダーが本格的に使用されるようになりました。それでも目視に頼る潜水艦の攻撃に、艦艇迷彩は有効とされ使われています。その後、軍艦の兵器が大砲からミサイルに主役が変わったことで、現代では水上艦艇や航空機に対してレーダーに捉えにくいステルス(非探知)技術が重視されるようになっています。とはいえ、艦艇迷彩は今でも一部の沿岸警備用艦艇に残っています。

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