古くから軍艦は、他国との外交の役割も担ってきました。艦長ともなれば相手国にとっては貴賓客になります。
軍艦、商船を問わず、乗組員として動物が乗船していたというお話は、古今東西、枚挙に暇がありません。
WW2期イギリス海軍の潜水艦「トライデント」(画像:帝国戦争博物館/IWM)。
正式に軍艦に乗り組んだ動物といえば、猫が多いようです。いわゆる「船乗り猫」です。「守り神」というだけでなく、ネズミ対策、乗組員のメンタルサポート、広報など具体的な任務も担っていました。第2次世界大戦では実戦に参加し勲章を授与された猫もいますし、戦死した猫も少なくありません。イギリス戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」に乗り組んだ「ブラッキー」は、チャーチルとの写真に納まった有名な船乗り猫です。
ところが第2次世界大戦のイギリス潜水艦「トライデント」には猫ではなく、どういうわけかトナカイが乗り組みました。トナカイはネズミを捕まえません。任務は守り神というよりは外交使節でした。
「トライデント」は開戦直後の1939(昭和14)年10月1日に就役しました。
現地で開催された英ソの協力関係を祝う記念式典の席において、「トライデント」のジェフリー・スレイデン艦長はソ連海軍提督との交流のなかで、イギリスにいる妻が雪で乳母車を押すのに苦労しているという話題を提供しました。ソ連の提督は「それにはトナカイが一番です」と答え、宴席でのジョークかと思いきやその後、本当にトナカイが「トライデント」に贈られます。

1942年3月19日ドイツ巡洋艦「プリンツ・オイゲン」を攻撃した後、帰港した「トライデント」(画像:帝国戦争博物館/IWM)。
英米にとって共産主義国ソ連との同盟関係は微妙なもので、外交も複雑な時期でした。あくまでジョークととるべきか、ソ連からの外交儀礼なのか意図を図りかねたスレイデン艦長は悩みますが、結局、英ソ友好の証としてトナカイの乗艦を許可します。とはいうものの人間用のハッチから乗り込むことができず、魚雷搬入口からの乗艦となりました。
このトナカイはポリャールヌイ基地に因んで「ポリアンナ」と名付けられました。「トライデント」にはポリアンナ用の居住区が設けられ、やがてポリアンナを乗せた「トライデント」は哨戒任務に出航します。
ポリアンナはなかなか賢かったようで、その6週間の航海中、艦内生活によく馴染み、艦内の号令や合図に反応するようになり、浮上の号令では新鮮な空気を吸うためにハッチへ近寄り、警報では頭を下げて伏せの姿勢をとったそうです。艦のマスコットとして乗組員の一員に認められ、「船乗り猫」ならぬ「潜水艦乗りトナカイ」となります。
ポリアンナの艦内におけるエサは、トナカイが好むハナゴケがソ連海軍から供与されていたものの、十分な量ではありませんでした。まさかハナゴケの補給に帰港するわけにもいきませんので、ポリアンナには乗組員の食事の残りが与えられていました。しかし、満足しなかったのかゴミ箱を漁り、海図を食べてしまったこともありました。そうしてすっかり人間の食事の味を覚えたポリアンナの一番の好物は、コンデンスミルクだったそうです。
哨戒任務を終えてイギリスに帰港した際には、コンデンスミルクのおかげかポリアンナはすっかり太ってしまい、退艦するのにクレーンと食料用搬入具が使われました。この作業を行ったのは食肉業者だったといわれます。こうして潜水艦乗りトナカイの任務は終わりました。
イギリス上陸後、ポリアンナはスレイデン艦長夫人の乳母車をひくことはなく、動物園に引き取られます。艦内訓練の成果か、動物園でもスピーカーからの声やサイレンに反応して伏せる行動をとったそうです。

1945年6月にインドネシアで日本陸軍の大発動艇を撃沈した際に捕獲した日章旗を手にする「トライデント」の乗組員(画像:帝国戦争博物館/IWM)。
「トライデント」はその後、地中海で短期間活動し、やがて太平洋に出動します。
北海から地中海、太平洋と戦歴を重ねた「トライデント」は戦争を生き延びました。1946(昭和21)年2月17日に除籍となりますが、「ポリアンナ」も同じ1946年に死んでいます。