太平洋戦争の初頭、ハワイ真珠湾攻撃を成功させ勢いに乗った日本は、アメリカ沿岸に潜水艦を派遣し、西海岸を何度も攻撃しました。そこで起こった一連の出来事は時を経てスピルバーグ監督の映画にもなっています。

アメリカ本土を砲撃した日本軍潜水艦

 アメリカの映画監督スティーブン・スピルバーグが、『未知との遭遇』と『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』の間に、ある1本の戦争映画を撮っていたことはご存知でしょうか。映画のタイトルは『1941』。1979(昭和54)年に公開されたその映画は、日米開戦直後にアメリカ本土で実際に起こった出来事をモチーフにしています。スピルバーグが作品をつくるきっかけとなった「出来事」についてご紹介します。

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エルウッド製油所の砲撃を報じた当時の記事に使われた写真。砲撃時のものではなく、演習中の写真を流用したものと思われる(時実雅信所蔵)。

 太平洋戦争の嚆矢となった1941(昭和16)年12月8日の真珠湾攻撃に参加した旧日本海軍の潜水艦部隊は、20日からアメリカ西岸で作戦行動を始めました。

 アメリカ西岸に展開した日本の潜水艦は9隻。これらが標的にしたのは周辺を航行する連合後国の輸送船や民間商船でした。ただ、大本営海軍部はそれらの潜水艦に対してアメリカ本土への砲撃を指示します。

 当時の潜水艦は、現代の潜水艦と異なり甲板船体上面に大砲を備えていました。大本営はこの大砲を使って対陸地を砲撃する攻撃を行うよう命令したのです。

 当初は12月25日に砲撃を予定しますが、その日はクリスマスの当日。旧日本海軍の連合艦隊はアメリカ国民の反発を恐れ、27日に延期します。

 ところが、燃料が乏しくなったことから砲撃は行われず、潜水艦はいったん日本本土や補給基地に戻りました。

 翌1942(昭和17)年2月23日、今度は伊17潜水艦だけでアメリカ本土砲撃を行いました。目標はカリフォルニア州ロサンゼルスから西に172km離れたサンタバーバラ近郊のエルウッド製油所でした。

 日没後の午後7時過ぎ、浮上した伊17潜水艦は石油タンクを目標に17発を撃ち込みます。砲弾は施設の一部を破壊しただけで大事に至りませんでしたが、不発弾の処理でアメリカ兵1名が負傷しました。

 結局、石油施設にダメージは与えられなかったものの、伊17潜水艦の砲撃はアメリカ国民に心理的な恐怖を巻き起こすことに成功します。アメリカではこの頃、同盟国イギリスを始めとして連合国の船が相次いで沈められていたことなどから、敵の上陸が近いと不安が広まっていました。

 そういったなか、今度はロサンゼルスで「ある」事件が起こります。

UFO? 真夜中のLAに現れた多数の「謎の飛行物体」

 1942(昭和17)年2月25日午前2時過ぎ、アメリカ陸軍の防空レーダーがロサンゼルスに接近する飛行物体を探知します。前夜に伊17潜水艦の砲撃があったばかりだったため、今度は日本軍が航空攻撃を仕掛けてきたと緊張が広まり、ただちに空襲警報が発令されました。

 アメリカ陸軍の戦闘機が迎撃準備を始めるなか、飛行物体はいったんレーダーから消えます。ところが軍には海岸付近で目撃された航空機の情報が寄せられ、ロサンゼルス上空でも複数の航空機が飛来しているという報告が集まりました。

 午前3時過ぎ、灯火管制の敷かれたロサンゼルス市内で、対空砲の射撃がおよそ1時間にわたって行われました。このとき発射された砲弾は1433発にのぼり、街に降り注いだ砲弾の破片で家屋や自動車に被害が続出、自動車事故と心臓発作で5名の死者まで出ています。

「日本軍が上陸してくるぞ!」スピルバーグ作品の元ネタにもなった米本土パニック事件の顛末
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1942年当時のロサンゼルス市街の様子(画像:アメリカ議会図書館)。

 その結果、26日の地元紙「ロサンゼルス・タイムズ」には、サーチライトに照らされた複数の発光体と被害の様子が写真とともに掲載され、センセーショナルに報じられました。これに対してアメリカ海軍は直ちに記者会見を開き、事件を誤報だと発表。一方、実際に砲撃をした陸軍は敵の謀略だという内容の声明を出したのです。

 結局、真相究明は後回しにされ、戦後になってからアメリカ空軍が出した結論では、当時、陸軍が飛ばしていた観測用の気球を誤認したことが事件の発端だとされています。

 ただ、このふたつの事件をきっかけに、アメリカ本土の防衛体制は強化されました。

 ルーズベルト大統領(当時)は事件の1週間前、国防上に問題がある外国人を隔離する大統領令に署名しており、事件をきっかけに日系アメリカ人の強制収容が本格化していきます。

その後も続いたアメリカ本土攻撃

 こうして生起した1942(昭和17)年2月25日の事件は「バトル・オブ・ロサンゼルス」、日本語に訳すと「ロサンゼルスの戦い」と呼ばれています。

なお、ミステリーファンの間では、戦後の1947(昭和22)年に起こったロズウェル事件と絡めて、第2次世界大戦(太平洋戦争)中に起きた大規模なUFO事件としても知られています。

 もっとも、「ロサンゼルス・タイムズ」に掲載された発光体は、写真を加工した捏造との指摘があるので、真相はいまだ不明ではあります。

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フォート・スティーブンスに着弾した砲弾の跡を調べる兵士(画像:アメリカ陸軍)。

「バトル・オブ・ロサンゼルス」その後も旧日本海軍はアメリカ本土を攻撃しています。同年6月20日に伊26潜水艦が、カナダ南西部のバンクーバー島を砲撃しています。ここは太平洋に面した場所でアメリカ国境に近く、島内には無線方位探知局と灯台があり、それを狙ったものでしたが、砲弾が命中することはなく被害はありませんでした。

 翌21日夜には、今度は伊25潜水艦がオレゴン州とワシントン州の境を流れるコロンビア川の河口都市アストリアを砲撃しました。アストリアは少し内陸部に位置しており、砲弾は手前にあるアメリカ陸軍の沿岸要塞フォート・スティーブンスに着弾しています。要塞に被害はありませんでしたが、突然の砲撃でパニックになった兵士に負傷者が出ています。なお砲撃はごく短時間で終わったため、アメリカ軍は大型の要塞砲で反撃する間もなく、伊25潜水艦を取り逃しています。

 さらに伊25潜水艦は、同年9月に搭載している小型偵察機を用いて、オレゴン州の森林地帯を爆撃しています。同機は焼夷弾を二度にわたって投下しており、アメリカにとっては、20世紀における唯一の外国機による空襲でした。

 ゆえに2001(平成13)年9月11日に起きた同時多発テロは、伊25潜水艦による空襲以来の出来事として、アメリカでは受け止められています。

 ちなみに、映画『1941』は以上のようなアメリカ西海岸をはじめとする、当時の日本軍潜水艦の砲撃事件をもとに、三船敏郎演じる艦長が指揮する伊17潜水艦が、日米開戦直後のクリスマス前にロサンゼルスの街(目標はハリウッド)を砲撃しようとしたことで、アメリカ軍と地元住民が大混乱に陥る、というストーリーでした。

 アメリカ本土で現実に起こったのはシビアな混乱でしたが、映画ではそれをドタバタコメディに仕立てています。終戦から34年経った時代ならではの、一種のどかな「戦争映画」でした。

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