長野県南信地方にある「高遠駅」の窓口が閉鎖し、無人化されます。といっても鉄道駅ではなく、バスの拠点としての「自動車駅」です。

その裏には鉄道の敷設へ向け人々が汗を流した歴史があり、それが国鉄バス路線の開設へとつながりました。

バスの行先「高遠駅」 そこに鉄道駅はないが

 鉄道はないものの「駅」を名乗り、70年以上にわたり窓口でバスやJR線のきっぷの販売などが行われていた地域の拠点が、ついに“無人駅”となりました。

 それは長野県南部、伊那市高遠町(旧・上伊那郡高遠町)の「高遠駅」です。1948(昭和23)年、飯田線伊那市駅から高遠を結ぶ国鉄バス路線の開業とともに、「自動車駅」として開設されました。観光案内所を兼ねて営業を続けてきましたが。2022年3月末をもって、きっぷなど販売する窓口の営業が終了。駅員は不在となるものの、この駅を発着する「JRバス高遠線」などの運行は今後も継続されます。

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高遠の入口、鉾持桟道の崖下を進むバス。切り拓かれた旧道は4mほど上の部分にあった(宮武和多哉撮影)。

 今回の窓口閉鎖・無人化は、伊那市から受けていた観光案内所の委託が終了することによるもので、高遠線の定期券の発行などは、JR伊那北駅にほど近いジェイアールバス関東 中央道支店で行われます。

 今でもここには、「高遠駅」と方向幕を掲げたバスが発着し、裏手には常時1、2台のバスが待機しています。また1986(昭和61)年に建て替えられた駅舎の基礎部には「竣工・日本国有鉄道」の銘板が残り、「JNR」(国鉄)マークが入った館内のスピーカーも現役。

発着ホームも3番線まであり、その雰囲気や佇まいは、まるで小さな鉄道駅のようです。

 駅舎内には10人程度が待機できそうな待合室もあり、かつて売店や立ち食いそば店まであったといいます。そして窓口では鉄道へ乗り継ぐ切符や、新宿に直通する高速バス(2009年廃止)の乗車券も扱われていました。いまも事務所には硬券の切符にガチャン! と日付を入れる昔ながらのダッチングマシン(天虎工業製)があり、この機械で日付を入れる記念切符が発売されています(4月1日以降はJRバス中央道支店で販売、台紙がなくなり次第終了)。

 今日まで“駅”の機能を維持してきた高遠駅ですが、もともとこの街には鉄道敷設の計画がありました。実際の開業は叶わなかったもの、開業に向けた道路工事やインフラ整備が、その後の高遠の運命に深く関わっていたのです。

戦後すぐのバス路線開業、その陰にあった「高遠電気軌道」計画

 高遠藩の城下町・高遠は三方を山に囲まれ、唯一開けた伊那方面の街の入口には、崖が迫る難所「鉾持桟道」(ほこじさんどう)が立ちふさがっていました。その険しさは、崖に細い桟道(除道)を張り出してようやく人を通すほど。高遠は石仏や建造物の加工を行う「高遠石工(いしく)」の拠点でもありましたが、この崖は全国を飛び回る石工の往来を妨げる存在でもありました。

 明治時代には、鉄道のルートから外れ衰退の危機に立たされた高遠に鉄道を通す構想が浮上しました。地元出身の実業家・黒河内一太郎の奔走によって、1921(大正10)年に「高遠電気軌道」が設立され、伊那電気鉄道(現・JR飯田線)伊那北駅から高遠までの敷設計画が発表されたのです。

 この鉄道に電気を供給するため、政治家・豊島恕平(とよしまじょへい)によって発電設備が整備され、配電事業者「高遠電灯」が営業を開始しました。

同時に伊那北~高遠間の道路は鉄道を通すことを前提として、鉾持桟道やいくつかの急坂が切り拓かれ、改修されました。鉄道の計画に地元の財界・政界が「電力の整備」「険しい地形の改修」というアシストを行い、一丸となってアシストしていたといえるでしょう。

信州「高遠駅」無人化 70年前から鉄道なくても“駅” 背景にあった鉄道計画とは
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鉾持桟道の拡幅工事の様子。大正10年頃(伊那市立高遠町歴史博物館蔵)。

 しかしこの鉄道計画は営業距離が約10kmと短く、当初から収支に厳しい見通しが立てられていました。その後は茅野への接続を模索するも、強力な旗振り役であった豊島恕平が1920年に、黒河内一太郎が1926年に相次いで世を去ったこともあり、出資者が集まらず計画は頓挫してしまいます。

 とはいえ、鉄道開通を前提とした発電は、長らく電力未供給であった高遠の地に電気をもたらしました。そしてレールが敷設されるはずだった土地は道路用地となり、高遠への県道(現在の国道361号)は早い段階で片側1車線分の道幅があったといいます。戦後まで繰り広げられた熱烈な鉄道誘致運動は実らなかったものの、当時としては珍しい道路状況も味方し、1948(昭和23)には前出した国鉄バス「高遠線」が開業を果たすのです。

「高遠桜」の満開目前に駅は無人化 実は新宿でも見られる?

 桜の名所として知られる高遠城址公園では、毎年4月に「高遠さくらまつり」が開催され、JRバス高遠線もこの時ばかりは年1回の掻き入れ時。それに加えて期間中は、駅と城址公園を結ぶバスなども運行されます。約2km四方にわたって広がる城跡の山一面に咲き乱れる桜は、見事という他はありません。

 また閑静な城下町も見どころです。農地が狭い高遠藩は商業・交易に力を入れていたこともあり、白漆喰の壁や格子戸などがそのまま残る旧・池上家屋敷などの商家も高遠駅近くに残っています。

 高遠藩は石高こそ3万石と小規模ですが、1691(元禄4)年に入封した内藤家は、徳川家康が関東に移封した際、直々に内屋敷の用地(後の内藤新宿、現在の新宿御苑)を賜るほどに信頼が厚く、歴代の藩主は内政の重要な職を担うこともありました。「内藤新宿」の縁もあって、この地に多く群生している固有種「高遠桜」(タカトオコヒガンザクラ)は新宿御苑に植え替えられ、今年も変わらず庭園を彩り続けています。

信州「高遠駅」無人化 70年前から鉄道なくても“駅” 背景にあった鉄道計画とは
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高遠城址から一望する高遠の街並み。高遠駅は中央の道路の奥にある(宮武和多哉撮影)。

 2022年の高遠における高遠桜の開花予想は4月第1週頃とされています。3月下旬に筆者(宮武和多哉:旅行・乗り物ライター)が訪れた際、高遠駅の窓口の方も発券しながら「せめてあと何日か(満開の頃まで)いさせてくれればいいのにねぇ……」と名残惜しそう話していました。

 桜の開花を待たずに、高遠駅は無人駅となりますが、4月1日以降も待合所はこれまで通り利用でき、観光案内所としての機能はJA上伊那・高遠支所に引き継がれます。

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