マックス・インメルマンはWW1期ドイツのエース・パイロットです。その戦歴は短いながらも、いまなお語り継がれる鮮烈なものでした。

「戦闘機」なるものが誕生するのと同時期に現れた撃墜王の伝説的な航跡を追います。

「インメルマンターン」にもその名が残るけど…?

「インメルマンターン」という名のアクロバット飛行があります。水平状態からそのまま機首を上げ上昇、背面状態になった時点でロール(横転)し水平飛行に戻るという機動であり、終了後は開始時よりも速度が低下、高度が高くなり、針路を180度反対側へ変更することができます。

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フォッカー・アインデッカーの伝説的なエース、マックス・インメルマン中尉。撃墜数17機、戦死時25歳(画像:帝国戦争博物館/IWM)。

 第1次世界大戦時のドイツ軍エースパイロット、マックス・インメルマンの名を冠していることでも知られますが、実は、インメルマンは生涯一度もインメルマンターンをしたことがないと考えられます。

 なぜそういえるのかというと、インメルマンの愛機フォッカー・アインデッカーはあまりにも性能が低すぎて、インメルマンターンそのものが不可能であるからです。つまり誰かが勝手にインメルマンの名を借り(恐らく権威付けのために)インメルマンターンと呼びはじめ、本人とは無関係に定着してしまったのがその実態であるようです。

 インメルマンはどのような人物だったのでしょうか。エースパイロットといえば戦闘機映画の主人公的な自由奔放の性格で派手で女性にモテる外向的な熱血漢……のようにイメージするかもしれませんが、むしろ彼は逆で、菜食主義者で肉を食わず、酒を飲まず、甘いものばかりを食べ、同僚から誘いを受けても断り、ひとりでいることを好み、愛犬のタイラスだけをかわいがり、まめに母と兄妹へ手紙を書くちょっと変わったタイプでした。主人公は主人公でも、『機動戦士ガンダム』のアムロ・レイや『新世紀エヴァンゲリオン』の碇 シンジに近いかもしれません。

戦闘機教習3日目のインメルマン いきなり実戦へ

 少尉のインメルマンはもともとドイツ軍の偵察機パイロットでしたが、後に(犬を除き)最高の親友となる同じ歳のベルケ中尉と出会い、彼からアインデッカー戦闘機の操縦を習い始めます。

その翌々日、飛行場が英仏の飛行機に襲撃され爆撃を受けると、インメルマンはベルケとともに出撃しました。

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インメルマンの師にして戦友オズワルト・ベルケ。彼の教え子にはリヒトホーフェン(レッドバロン)など何十人ものエースが名を連ねる(画像:帝国戦争博物館/IWM)。

 ところがベルケ機は機関銃が故障し着陸。インメルマンは単独で敵機へ向かいました。修理し再度、離陸したベルケは新米のインメルマンが死ぬのではないかと予感し急行します。しかしそれは杞憂でした。インメルマンはひとりで敵英軍機を撃墜してしまっていたからです。

 昨日初めてひとりでアインデッカーをよろよろと着陸させられるようになったインメルマンが、今日にも撃墜戦果をあげたことに、ベルケは驚愕しその才能を見抜きます。

 その後インメルマンは頻繁にベルケとともに出撃、そしてインメルマンはついに撃墜数世界一の座に君臨しました。インメルマンとベルケのふたりの撃墜数が8機で並び両者世界1位となったとき、ドイツ軍兵士に与えられる最高位勲章(当時)「プール・ル・メリット」を受勲、ふたりは互いを最高のパイロットであると讃え、喜び合います。

 インメルマンらのアインデッカーは当時、最強の戦闘機でした。

なぜなら戦闘機と呼べる世界初の飛行機こそがアインデッカーであったからです。

 アインデッカーがほかの飛行機と異なり、戦闘機たらしめていた所以は、プロペラ回転の隙間から機関銃を発射できる「プロペラ同調装置」を搭載し、追いかけながら射撃する「追撃」が可能であったという一点にありました。

 一方、機体設計は全くの時代遅れで、80馬力のエンジンは当時でも低水準。インメルマンターンのようなアクロバット飛行は不可能であるどころか、強度不足から少し無理な機動をすれば簡単に翼が吹き飛びました。したがってインメルマンの戦い方は、何か特別な空中戦闘機動を得意としていたのではなく、相手を先に発見し(ファーストルック)、先制攻撃し(ファーストシュート)、撃墜する(ファーストキル)という、基本に則った「地味な」ものであったようです。

インメルマンはインメルマンにしか落とせず…そして伝説へ

 第1次世界大戦におけるパイロットの寿命はせいぜい1か月以内であったにも関わらず、必ず生還し戦果をあげて帰ってくるインメルマンは無敵に思われました。インメルマン以外にインメルマンを落とせるものなど存在しない、世界中がそう信じていました。

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最初の戦闘機フォッカー・アインデッカー。E.IからE.IVまであり、写真はインメルマンが最後に搭乗したE.IIIの同型機。

 そして1916(大正5)年6月18日。このときインメルマンの撃墜数は17機にまで達し世界2位、1位は盟友ベルケ18機であり、その差はわずかに1機でした。インメルマンは1位に並ぶチャンスに遭遇、機銃のトリガーを引きます。

ところがアインデッカーのプロペラ同調装置が故障、本来ならプロペラの間隙から発射されるはずの弾丸は自機のプロペラブレードを貫通し、これを引きちぎってしまいます。

 吹き飛んだプロペラブレードは主翼を支える鋼線を切断、機体は空中分解しなす術も無くそのまま墜落、インメルマンは事故死してしまいました。皮肉なことに、インメルマンは最後にインメルマンを撃ち落としてしまったのです。

 インメルマンの戦闘機パイロットとしてのキャリアはわずか10か月。世界初の戦闘機アインデッカーとともに突如、現れ、そしてアインデッカーと共にわずかな期間で消えていった孤高のエースの戦歴は、まるで創作であるかのようです。元祖にして不世出の伝説は、全く関係のない「インメルマンターン」の名と共に不滅であるに違いありません。

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