フランスには、打倒ボーイング737を目指して開発された旅客機、ダッソー社製の「メルキュール」があります。12機のみ製造とヒット機とは程遠かったものの、実は決して低スペックではありませんでした。
フランスのル・ブルジェ航空博物館などに、ボーイング737やエアバスA320によく似た、やたら古めかしい双発のジェット旅客機が展示されています。これはいまから半世紀以上前、1971年5月28日に初飛行したフランス・ダッソー社製の「メルキュール」という100席クラスのジェット旅客機です。
ダッソー社は、デルタ翼戦闘機として有名な「ミラージュIII」や、空母用戦闘機「エタンダール」、ビジネス・ジェット機「ファルコン」シリーズなどを製造してきた名門航空機メーカーのひとつです。
仏 ル・ブルジェ航空博物館に保管されているダッソー「メルキュール」(松 稔生撮影)。
「メルキュール」の開発が始まったのは1960年代後半。フランス政府からダッソー社に、当時就航にむけ準備が進んでいたアメリカ・ボーイング737のようなジェット旅客機を、製造してはどうかと提案があり、1969年に開発が始まりました。
すでに、ボーイング737は1967年11月にアメリカFAAの型式証明を取得し、世界各国のエアラインから引き合いがありました。そこで、初期のボーイング737より少し乗客を多く設定したほか、視界の悪い天候も多いヨーロッパ圏内運航を前提に、ほとんど視界がなくても安全に着陸できる、高水準な計器進入システム「ILS カテゴリーIIIA」を装備するなど、新たな機能が加えられ、初飛行を迎えました。
その後、1972年9月に試作2号機が、1973年6月に量産機が初飛行しますが、結局「メルキュール」を採用したのはフランスの国内線を運航するエア・インター(AIR INTER。エール・アンテールとも)のみとなってしまいました。
なぜ「メルキュール」はここまで売れなかったのか?「メルキュール」が売れなかった原因としては、1970年代のオイル・ショックによる新型のジェット旅客機の需要の冷え込みもありましたが、決定的だったのは欧州域内の運航を前提とし、2000km弱に抑えられていた航続距離にあったとも。エアライン側の興味が、同じ位の大きさで、短距離路線にも、アメリカ大陸横断路線といったより航続距離が長い中距離路線にも投入できるような機体に向いてしまったため、といわれています。

ルフトハンザ航空のボーイング737(画像:ルフトハンザ航空)。
ただし、ダッソー社の「メルキュール」はいくつか、民間ジェット旅客機のマイル・ストーンを飾っている機体であるのも事実です。先述した先進的な計器着陸装置「ILS カテゴリーIIIA」を装備して初めてFAA(アメリカ連邦航空局)の型式証明を取得したこともそうですし、初めて女性のみによる運航を実施した、といった記録もあります。
なお、フランス語の「メルキュール」と言う名称は、ローマ神話における商人や旅人の守護神の名前で「水星」を意味します。この守護神、頭にヘルメットとその足にエルロンを持ち、英語では「マーキュリー」とも呼ばれます。名付け親はダッソー社の社長であるマルセル・ダッソー氏なのだそうです。ちなみに、ダッソー社によると同型機は「無事故で4400万人の乗客を乗せ、44万回の飛行を行った」とのことです。
ちなみに「メルキュール」はヒット作とはなりませんでしたが、その後、ダッソー社と同郷であるフランスの航空機メーカー、エアバス社のA320が737の牙城を切り崩すことになります。「メルキュール」とA320、そのルックスはまさに瓜二つ。「メルキュール」の開発にあたった技術者が、エアバスA320の開発にも携わり、ライバルに“倍返し”したのかもしれません。