117年前の1916年2月4日、和歌山県を走っていた「野上電気鉄道」が開業しました。
紀勢本線・海南駅から東へ伸びる1994年に廃止された野上電気鉄道(画像:写真AC)。
今から117年前の1916年2月4日。和歌山県を走っていたローカル私鉄、野上電気鉄道が開業しました。
野上電鉄は、紀勢本線の海南駅から内陸部の登山口駅へ延びる11.4kmの路線。この日は途中の野上駅(のちの紀伊野上駅)まで開業を迎えました。
紀勢本線では同様の地方路線として、藤並駅から有田鉄道が伸びていましたが、2002(平成14)年に廃止。残るは御坊駅から伸びる紀州鉄道(当時は御坊臨港鉄道)、和歌山駅から伸びる和歌山電鐵(当時は山東軽便鉄道)のみとなっています。
野上電鉄の起点駅は、厳密には海南駅ではなく、少し北側にある「日方駅」でした。海南という自治体名はのちに合併により生まれたもので、当時の所在地は日方町だったのです。線路は海南駅前で東へ進路変更していきますが、そこに「連絡口駅」という国鉄乗り換え用の駅が設けられており、日方駅と同一駅扱いという、不思議な存在でした。
野上は昔から野上八幡宮のおひざ元の街として、また高野山の参詣道沿いの街として栄えました。当時はまだ国鉄も開業しておらず、港への輸送路線として建設されたのです。紀勢本線の海南駅が開業し、接続するのは8年後の1924(大正13)年のことで、当初はこちらも「日方町駅」でした。
4年後の1928(昭和3)年に、野上の中心地からさらに奥の下佐々地区へ延伸開業し、生石口駅(のちの登山口駅)が新たな終着駅となり、全通となりました。
1925年4月時点のダイヤを見ると、日方~野上の所要時間は30分。朝4時半から深夜0時過ぎまで、約40分間隔で運行されていたようです。
他のローカル鉄道の例に漏れず、次第に時代は自動車移動が主流となっていき、野上電鉄も徐々に経営が悪化。国の補助金打ち切りをきっかけに、1994(平成6)年に運行終了となりました。
廃線跡はかなりの距離が歩行者道として整備され、現在でもその面影を見ることができます。

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