ジェット旅客機の草創期に「世界最速」のコンセプトで開発されたのが「コンベア880」。どう開発され、そのスピードを生み出す秘訣は何だったのしょうか。
JAL(日本航空)が初めて導入したジェット旅客機は1960年就航の「ダグラスDC-8」ですが、実はDC-8の翌年、同社が異なる型式のモデルを導入していたことはあまり知られていません。ジェネラル・ダイナミクス社の「コンベア880」です。
ただ、こちらは初飛行からわずか3年で生産終了になったほか、”名旅客機"と呼ばれたDC-8とは対象的な評価をされています。どのような機体だったのでしょうか。
コンベア880(画像:サンディエゴ航空宇宙博物館)
コンベア880は当時の「世界最速の旅客機」を作るというコンセプトで開発されました。これは、旅客機が開発されるにあたり初期発注を行う航空会社「ローンチカスタマー」であったTWA(トランスワールド航空)のオーナーであり、世界最速の飛行記録をいくつも塗り替えるなど、いわゆる「スピード狂」として知られた大富豪、ハワード・ヒューズ氏の意向を多分に反映したものです。
コンベア880は、当時先行して開発されたボーイング707(マッハ0.81)やダグラスDC-8(マッハ0.72)より上のマッハ0.89(約990km)を設計値として打ち出します。高速飛行を実現する源となったのは、搭載エンジンです。
ボーイング707およびダグラスDC-8は、軍用機でマッハ1級の記録を打ち立てたこともある「ターボジェットエンジン」のプラット・アンド・ホイットニー「JT3C」や、これを燃費効率や静粛性の高い構造である「ターボファンエンジン」に改良した「JT3D」などを採用していました。
一方、コンベア880に搭載されたエンジンは、ゼネラルエレクトリック(現GEアビエーション)のベストセラー「J79」を民間機用に改良したターボジェットエンジン「CJ-805-3」です。J79を搭載した戦闘機YF-104A「スターファイター」は、初めてマッハ2を超える高速飛行を達成。
ただコンベア880は、高速性を重視したことと引き換えに、多くの問題を抱えていたモデルとしても知られています。
世界最速目指したゆえトホホ機に?コンベア880は強力なエンジンを積んだ代わりに、燃費がライバルと比べて悪く、騒音も大きなものになりました。さらにエンジンの後方から吐き出される黒煙は、環境に良くないというレッテルが貼られる結果に。また、このエンジンは整備性に関してもあまりよくなく、取り扱いが難しい点を有していました。
ほかにも、戦闘機用から旅客機用へアレンジする段階で価格を下げるべく、燃焼ガスに常に触れ超高温となる「ホットセクション」部分において耐熱金属を使う量を減らしたことなどから、トラブルが多発。加えて、操縦も「じゃじゃ馬」と呼ばれてしまうような難しいものだったといいます。
コンベア880の生産は65機にとどまり、1962年に終了。ライバルのボーイング707は約1000機、ダグラスDC-8は約550機が生産されたのとは対象的な結果となりました。なお、コンベア880の生産終了がここまで早かったのは、後継機であるCV990が登場し、それに生産が切り替えられたことも影響しているとされています。
また、JALのコンベア880は1961年にデビューし、9機が導入され初のジェット旅客機による国内線運航を担当したものの、前述した難しい操縦特性から3機が訓練中に全損事故を起こしてしまいました。
同社からは1971年に全機退役。おおむね導入から20年ほど使用されることが多い旅客機のなかでは、10年で「スピード退役」となりました。
【当時の映像】音のクセ! 「シヒィィン!」と爆裂サウンドを奏でるCV880の姿(45秒)