ヨーロッパの豪華列車「オリエント急行」が、ソ連や中国の線路を走って大陸を横断。日本へ上陸し、各地で運転されたことがあります。
19世紀にその起源がある、ヨーロッパの豪華列車「オリエント急行」。アガサ・クリスティが1934年に発表した『Murder on the Orient Express(オリエント急行の殺人)』など、小説や映画の舞台にもなりました。
この「オリエント急行」、日本を走ったことがあります。そう命名した列車を走らせたのではなく、本物の車両をヨーロッパからソ連のシベリア鉄道、中国を経由して香港まで走らせ、そこから船で山口県へ輸送。北海道から九州までの各地で運転されたのです。フランスのパリでは「オリエント急行 東京行き」として出発式も行われました。
日本へ上陸したのち、山口県の車両工場で整備が行われた「オリエント急行」は1988(昭和63)年10月17日、広島駅を発車。その翌朝、東京駅へ到着しました。その後「オリエント急行」は青函トンネルや関門トンネル、瀬戸大橋も通過しています。
そして26年前の1988年12月23日、日本へやってきた「オリエント急行」のハイライトが訪れます。東京の上野駅から京都駅まで往復する日本国内の最終運行で、その先頭へ、この日に間に合わせるべく復活作業が行われたD51形蒸気機関車(デゴイチ)が登場。
このとき「オリエント急行」をけん引した蒸気機関車はD51形498号機で、現在は群馬県の上越線「SLみなかみ」などとして走っています。
またこの「オリエント急行」日本走行は、フジテレビの開局30周年を記念し1988年に行われたイベント「オリエント・エクスプレス ’88」で実現したものです。
「オリエント急行」を助けたペレストロイカ「オリエント急行」の車両はフランスのパリからケルン(西ドイツ)、ポツダム(東ドイツ)、ワルシャワ(ポーランド)、モスクワ(ソ連)、イルクーツク(ソ連)、満州里(中国)、哈爾浜(中国)、北京(中国)、広州(中国)、香港と経由し、日本へやってきました(国名は当時)。
ソ連を通過するのは何かと面倒なことがあったのでは、と思うかもしれません。また当時、関係者は実際にそう思っていたそうですが、フジテレビ出版『これがオリエント急行だ』によると、実際は比較的容易に了解が得られたといいます。当時ソ連では、「ペレストロイカ」をスローガンにゴルバチョフ大統領が改革政策を行っていました。
香港から船に積載された「オリエント急行」の車両は、山口県下松市にある日立製作所に到着。新幹線車両の製造も行っている車両工場です。そこで日本でも走れるよう、車輪部分などの整備が行われています。
車両をヨーロッパへ返すにあたっては陸路ではなく、貨物船で直接送られました。
ちなみに日本で運行された「オリエント急行」の料金は、9泊10日(車中4泊)の「日本一周」で1人88万8千円。