アメリカ軍の主力中戦車M4「シャーマン」には数々の派生型が存在しますが、なかでもひときわ異形なのがT31でしょう。「破壊戦車(デモリション・タンク)」と名付けられた、この異端児がなぜ生まれ、量産されなかったのかひも解きます。
第2次世界大戦中、アメリカ陸軍は戦争遂行のために様々な試作戦車を開発しました。そのなかに、砲身を3つ備えた巨大な砲塔を持つ、頭でっかちな異形の戦車がありました。同車は「T31」と呼ばれていましたが、なぜそのような不細工になったのか、そしてアメリカ陸軍はどのような使い方を想定していたのでしょうか。
第2次世界大戦末期にアメリカ陸軍が試作したT31破壊戦車(画像:アメリカ陸軍)。
そもそもT31は、機甲戦を考慮した一般的な戦車ではなく、味方部隊の進撃を支援する工兵部隊用の火力支援車両として開発されました。
第一線で味方部隊の進撃を支援する工兵部隊は「戦闘工兵」と呼ばれます。味方が戦闘を有利に進められるよう、敵のトーチカや塹壕陣地を破壊したり、進撃を阻む道路障害物などを爆破したり、地雷を撤去したりといった作業を、銃弾飛び交う最前線で行わなければなりません。このように戦闘工兵の任務はきわめて危険かつ重要ですが、「生身の兵士」では犠牲が多くなってしまうのが難点でした。
こうした問題を解決するため、アメリカと共に戦うイギリスでは重装甲のチャーチル歩兵戦車を改造して、敵陣やトーチカを破壊するための短射程ながら威力の大きな大口径ペタード砲(迫撃砲の1種)を備えた「チャーチルAVRE」戦闘工兵車を開発・運用していました。ちなみにAVREとは「Armored Vehicle Royal Engineers」の略で、日本語に訳すと「王立工兵隊用装甲車両」という意味です。
一方、アメリカ陸軍は、大戦前半は太平洋戦線(対日戦線)では守勢に回ることが多く、かつヨーロッパ戦線(対独戦線)では、参戦が遅れたということもあり、この種の戦闘工兵車両の必要性をあまり理解していない状況でした。
しかし大戦後半になり、ノルマンディー上陸作戦や中部太平洋の島々への上陸作戦などが始まると、戦闘工兵の犠牲が多く出るようになり、この種の車両が必要になります。
そこで、アメリカ陸軍は1944年11月から開発に着手。車体には当時、同軍の主力中戦車だったM4「シャーマン」の最新モデルであるM4A3E8、通称「シャーマン・イージーエイト」を用いること、そして砲の代わりに連射式ロケット弾発射機を搭載することが決まります。

陸上自衛隊の富士駐屯地に保存展示されているM4A3E8戦車。陸上自衛隊でも発足から1970年代前半まで使用されていた(柘植優介撮影)。
このロケット弾は、海軍の対潜水艦用ロケット弾を、障害物の破壊や地上戦用に転用したものです。ただ、ロケット弾の発射レールを車体外側に直付けすると、戦闘中にロケット弾が被弾して誘爆したり、再装填の際に装填手が死傷したりするおそれがありました。
そこで発射装置をレール式ではなく発射筒式として、その後端部に拳銃のリヴォルバーのような5連装の回転式弾倉を取り付けた連射式ロケット弾発射機T94を開発。同発射機を左右に1基ずつ内蔵した大型砲塔を造りました。左右に振り分けられた同発射機が収納された砲塔の後部には、ロケット弾発射時の噴煙を車外に排出するための噴射孔も開けられています。
砲塔左右に取り付けられた連射式ロケット弾発射機は、砲塔の左右の外周を成している発射機の収納部ごと、プラス34度からマイナス15度までの角度を変えることができました。
なお、砲塔中央にも砲身がもう1本伸びていますが、これはダミーで射撃することはできません。よそで消耗した105mm榴弾砲の砲身を流用したもので、左右のロケット弾用のものと合わせて、3本もの砲身が巨大な砲塔から伸びている様は異様です。
ちなみに、ダミー砲身のすぐ下には7.62mm機関銃が左右に1丁ずつ、計2丁装備されていました。
1台で何でもできる汎用工兵車両にこの巨大な砲塔は、M4A3E8「イージーエイト」の車体と組み合わせられましたが、車体底部も地雷などを踏んでも耐えられるよう、床面の装甲厚が原型よりも13mm厚くされ38mmに強化されています。

T31破壊戦車の砲塔アップ。中央の砲身はダミーで、その下に見える半球状のものが7.62mm機関銃のボールマウント(画像:アメリカ陸軍)。
車体には、普通のM4A3E8と同じく右側に前方機銃が備えられていましたが、その上の車体銃手ハッチには火炎放射器のノズルが取り付けられており、火炎放射も行えるようになっていました。
さらに車体前端には、M4シリーズに装着使用されるドーザー・ブレードが備えられ、残骸や土砂の排除も可能でした。
こうしてT31は、ロケット弾による障害物や堅固な陣地の破壊、火炎放射による塹壕陣地などへの攻撃、ドーザー・ブレードによる敵前での土木作業が行える、多機能な戦闘工兵車として完成。アメリカ陸軍は本車に「破壊戦車」という意味の「Demolition Tank(デモリション・タンク)」という名称を付与しています。
完成した試作車は、1945年8月にアバディーン試験場でテストに供されます。その結果、ロケット弾発射機に問題があることが判明しましたが、そのテストとほぼ時を同じくして日本が無条件降伏し、第2次世界大戦が終結したため、このような戦闘工兵車両の必要性が消滅。結果、前述したロケット弾発射機の問題が改修されることはなく、1946年1月に開発中止となってしまいました。
試作車1両のみしか造られず、その唯一の車体も最終的に解体されてしまったため、現存していません。
もし現存していたら、間違いなくアニメやマンガ、映画などで注目を集めたのではないでしょうか。