日本でも「シャングリラ」は理想郷(ユートピア)を示す言葉としてホテルやレストランなどの施設名から、楽曲名、小説や漫画のタイトルまで幅広く用いられていますが、過去には空母の名前にまでなっていました。

きっかけは史上初の日本本土への空襲

 今から83年前の1942(昭和17)年4月18日、太平洋上のアメリカ空母「ホーネット」から飛び立ったB-25爆撃機16機が、東京をはじめ川崎市や横須賀市、名古屋市、神戸市などを爆撃しました。

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太平洋戦争終結後の1946年8月時点の空母「シャングリラ」(画像:アメリカ海軍)。

 この攻撃は、部隊指揮官であるジミー・ドーリットル中佐の名前から「ドーリットル空襲」として知られますが、じつはこの作戦をきっかけに、実在しない架空の地名が艦名になった空母が存在します。その空母の名は「シャングリラ」。アメリカの軍艦には、都市名や古戦場などの地名はよく使われますが、架空の名称が付与された艦は稀です。

 なぜ、そのような艦名が用いられたのか、そこには時の大統領のひと言が大きく関係していました。

 当時、アメリカ大統領の座にあったのは、フランクリン・ルーズベルトです。彼は、「ドーリットル空襲」の作戦成功を受け、記者会見を開きます。ただ、その席上で記者団から爆撃機の発進位置をたずねられた際に、その場所は「シャングリラだ」とルーズベルト大統領は返しました。

 大統領の発言に、記者団はざわめきます。「シャングリラ」とは、戦前の1933(昭和8)年にイギリス人作家が発表した冒険小説『失われた地平線』に出てくる架空の地名で、チベット奥地、ヒマラヤ山脈近傍にあるとされた理想郷(ユートピア)の名称です。

 この小説はベストセラーになり、ハリウッドで映画化もされたため、アメリカ国内でも「シャングリラ」という地名は広く知られていました。なお、新聞によっては大統領の言葉そのままに、爆撃機は空母「シャングリラ」から発艦したと報じたものもあったようです。

 とはいえ、もちろんこれは作戦の詳細を秘匿するためにルーズベルト大統領が記者団を煙に巻こうとついた嘘、というよりも、ほんの冗談にすぎないものでした。

大統領の発言どおり「シャングリラ」が日本を攻撃

 ただ、ドーリットル空襲から2年後、空母「シャングリラ」は本当に誕生します。

冗談がホントになっちゃった! 大統領のジョークから生まれた米空母 きっかけは「ドーリットル空襲」って!?
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1944年2月、空母「シャングリラ」の進水式での様子。シャンパンを艦首にぶつけているのがジョセフィン・ドーリットル夫人(画像:アメリカ海軍)。

 太平洋戦争開戦直前の1940(昭和15)年から、アメリカは次世代型空母としてエセックス級の建造を始めます。同級は太平洋戦争が勃発すると大量発注され、最終的に24隻が就役、その12番目が「シャングリラ」でした。

「シャングリラ」は、1944(昭和19)年2月24日の進水式で命名されます。艦名は前出のルーズベルト大統領の発言が由来とされ、式典にはドーリットル空襲を指揮したジミー・ドーリットル将軍(空襲当時は中佐)の妻であるジョセフィン・ドーリットル夫人が招待されています。

 7か月後の1944(昭和19)年9月15日に就役した「シャングリラ」は、各種訓練ののち日本近海まで移動すると、1945(昭和20)年6月2日から艦載機を用いた日本本土への攻撃を開始します。こうして、2年前にルーズベルト大統領が記者団に対して発した冗談が本当になりました。

 太平洋戦争後、空母「シャングリラ」はいったん予備艦扱いになりますが、3年半で現役復帰すると複数回の改修を受けながら、太平洋と大西洋の両方で活動します。

 ベトナム戦争に参加したのち、1971(昭和46)年7月末に再び予備艦となり活動を終了、約10年間の保管期間を経て、1982(昭和57)年7月15日付けで除籍され、1988(昭和63)年に台湾で解体されました。

 よく知られた慣用句のひとつに「嘘から出たまこと」という言葉があります。意味は、嘘のつもりでいった物事が本当になってしまうというものですが、空母「シャングリラ」は、まさにその具体例のひとつと言えるでしょう。

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