嘉手納基地には、日本人がなかなか入ることができないエリアに、国内ではここでしか見られないであろう軍用機が展示されています。どのようなものなのでしょうか。

「日本人」はめったに入れません…。

 米空軍嘉手納基地(沖縄県)には正面ゲートを入ってすぐ近くに、日本で見ることができるのは嘉手納基地だけという、米国の戦闘機が展示されています。これらの機体を日本人が目にする機会はほぼありませんが、今回は、実際に展示機を見てきました。

「嘉手納基地の中」に激レア航空機たちがズラリ…圧巻の様子とは...の画像はこちら >>

嘉手納基地(画像:アメリカ空軍)。

 各国の軍の基地は、「ゲートガーディアン」と飛ばれる、かつて配備していた航空機などの装備を、正面ゲートを抜けたあたりに展示することが多くあります。嘉手納基地も正面ゲートを抜けて、基地の大通りを暫く行った左手にそれらは並んでいますが、これらの機体を見ることができる日本人は、基地勤務者か業務による入場者に限られます。いわば、日本の飛行機好きにとっては“レア”な機体と言えるでしょう。

 並んでいるのは、大通りから見て右にF-15A、左側は手前から奥へ、F-4C、F-86F、F105F、F-100A、T-33練習機、ビジネスジェット機のCT-39Aがあります。このうち、F-4Cは青森県の米空軍三沢基地にもあり、F-86FとT-33は航空自衛隊も合わせれば日本国内では何機か見ることができます。

 対し、CT-39Aと1950年代に当時センチュリーシリーズと呼ばれ立て続けに開発されたF-100AとF-105Fは日本で見ることができるのは嘉手納基地だけと思われます。F-15も、日本国内にある初期型のA型は、この嘉手納基地の機体だけになります。

「いまやレアとなった元配備機たち」どんな状態だった…?

 嘉手納基地の第18航空団広報によると、これらの機体は、「所有はオハイオ州にある国立空軍博物館で、博物館と貸与契約を結んで展示している」ということでした。

同時に、「展示機は第18航空団が運用してきた機体で、嘉手納基地としてのヘリテージ(遺産)を表している」としています。

 確かにF-86Fは朝鮮戦争(1950~1953年)へ、F-100AとF-105F、F-4Cとベトナム戦争(1955~1975年)に出撃し嘉手納基地でも使われていました。このため、機体の塗装は当時のものを踏襲し、F-86Fの説明板には朝鮮戦争でエースとなったパイロットの名も刻まれています。これは嘉手納基地での米空軍の歴史を示すとともに、米国がアジア地域へ関与し続けてきたことを表しています。

 いずれの機体もジェットエンジンは取り払われて、排気口と機首、胴体脇それぞれの空気取り入れ口はふさがれています。前脚と主脚もゴムタイヤにのみ機体の重さがかからないように支柱で支えられているなど、恒久的な展示への処置が施されている模様です。とはいえ、沖縄ならではの紫外線の強さと、夏場の台風による強風と強雨による塗装の劣化も気になります。

 これについて、第18航空団の広報は「空軍博物館との貸与契約に基づき、腐食検査を行い必要に応じて再塗装も行っている。米空軍の地上展示機は航空宇宙の歴史や技術に対する認識と関心を広げ、米国空軍に関わった人々の業績を記念することを目的としている」としています。このため、これらの機体は今後ともきれいに保たれたまま並び続けることでしょう。

編集部おすすめ