開通から10年に満たないアメリカの首都ワシントンDCの路面電車が廃止される見通しです。64年ぶりに復活した悲願の路面電車は、なぜ終点に向かおうとしているのでしょうか。
アメリカの首都ワシントンDCのミュリエル・バウザー市長は2025年5月27日、運行している路面電車「DCストリートカー」を28会計年度(27年10月―28年9月)までに廃止し、EV(電気自動車)バスに切り替える方針を発表しました。
ワシントンDCを走るDCストリートカー(大塚圭一郎撮影)
DCストリートカーは約2億ドル(1ドル=145円で約290億円)を投資し、2016年2月に運行を始めたばかり。開業時には「首都で64年ぶりの路面電車復活」として大きな話題を呼びました。
筆者(大塚圭一郎:共同通信社経済部次長)は勤務先のニューヨーク支局とワシントン支局の駐在中に乗車しただけに、2026年2月の開業10周年を待たずに廃止の方向になったことに衝撃を受けました。一方、DCストリートカーは「決定的な弱点」を抱えているため先行きが厳しいことは認識していました。
マイカーよりエコ 接続する鉄道も便利名古屋市や京都市、福岡市などの路面電車が自動車の普及に押されて全廃したように、アメリカでも路面電車が消えた都市は枚挙にいとまがありません。1888年に路面電車の運行が始まり、ピーク時には16系統、総延長320kmを超えていたワシントンDCも1952年に一掃されていました。
しかし、地球温暖化が問題化すると、二酸化炭素(CO2)排出量を低減できる移動手段なのに加え、お年寄りや車いす利用者らも乗り降りしやすい路面電車を見直す動きが広がりました。
ワシントンDCも路面電車を復活させ、地下鉄「ワシントンメトロ」や路線バス「メトロバス」といった公共交通機関を使うよう、住民や通勤通学者を促すことで、マイカー利用に比べてCO2排出量を減らすことを目指しました。
DCストリートカーはユニオン駅停留場から併用軌道を通り、オクラホマ通り停留場までの約3.5kmを20分弱で結んでいます。ユニオン駅にはニューヨーク経由でボストンと結ぶ高速列車「アセラ」などの全米鉄道旅客公社(アムトラック)の列車や、ワシントンメトロの主力路線「レッドライン」などが乗り入れています。
運転している電車はチェコのシュコダが開発した車両がベースで、赤とグレーで塗装されています。
運行時刻は月曜日から木曜日が6時から翌日0時、金曜日は6時から翌日2時と日本の通勤電車にも引けを取りません。一方、土曜日は8時~翌日2時、日曜日は8時~22時にとどまります。
開業からの運賃収入は…一見すると利便性が高いものの、この路線には「決定的な弱点」が3つあります。

DCストリートカーのユニオン駅停留場の案内標識(大塚圭一郎撮影)
ひとつは、沿線のワシントンDCの北東地区は「低所得者が多く、公共交通機関の運賃を支払うのも負担になる」(DC住民)のを背景に、開業から9年が過ぎた今も「無料運行中」で有料化を見通せないことです。
ワシントンDCはホワイトハウスや政府機関、高級住宅地のジョージタウンがある北西地区は活気があるのに対し、北東地区は古くて手狭な住宅が多く並び、犯罪発生率も高めです。DCストリートカーは地域活性化と利便性向上の起爆剤となり、建設による雇用創出も含めた“一石三鳥”が期待されました。沿線にはしゃれた飲食店なども開業し、2019会計年度の累計利用者数は118万5571人に達しました。
ところが、新型コロナウイルス禍で利用者数が落ち込み、23会計年度も83万6438人と回復が鈍いまま。有料化した場合、利用者離れが加速するのは必至です。
これに対し、さまざまな場所と結ぶことができるEVバスに切り替えれば、通常の路線バスと同じように課金が可能になります。
2つ目は、路線延伸の挫折です。
しかし、ジョージタウン住民からは「路面電車でアクセスしやすくなれば治安が悪化する」といった反対意見が相次ぎ、途中の中心部の交通渋滞に拍車がかかりかねないとの懸念も出て頓挫します。
他方でベニングロード駅の周辺は「主に黒人と低所得者世帯が住んでいる地域」(地元紙ワシントン・ポスト)で一定の利用を見込めるものの、建設費に約1億ドルを要し、運行費も年間約1000万ドルが見込まれることがネックとなって中止に追い込まれました。
EVバスなら「設備が使える」3つ目は路面電車の運行や整備にコストがかさみ、将来の車両置き換えにも多額の投資が必要となってワシントンDCの財政を圧迫するという懐事情です。EVバスならば経費削減につながる上、導入する車両には集電装置を設けることで、路面電車用に設置された架線から電気を取り込めるようにします。

ワシントンDCのミュリエル・バウザー市長(公式ホームページから)
すなわち、有料化や延伸を見通せなくなったDCストリートカーの「決定的な弱点」を克服するため、路面電車のインフラを一部活用して利便性を高め、コストも低減できるEVバスに置き換える戦略です。
ワシントンDCのケビン・ドナヒュー管理官は、この計画について「現在の路面電車路線をより機敏に、より迅速に拡充することが可能になる」と胸を張ります。
ただ、北東地区に路面電車を導入した背景には、沿線に観光客らを呼び込めるようにし、活性化を促す狙いがありました。路面電車を廃止した後の沿線は「都市再生の失敗例」のらく印を押されたり、通るのは数多くあるバス路線の一部に過ぎないため魅力が低下したりしかねません。
実際、「路面電車は移動手段を超える役割を果たしてきただけに、廃止してほしくない」と訴える沿線住民もいます。「そろばん勘定」では一見合理的でも、「住民感情」は必ずしも歓迎ではない路面電車の廃止は、八方ふさがりになった苦渋の決断を浮き彫りにしています。