自動車メーカーによる不正が発覚し、社会問題となることがあります。しかし、その悪質性から今日でも企業倫理の問題について語られるときに、その悪例として挙げられるのが1970年代の「フォード・ピント事件」です。

映画のモデルにもなった「フォード・ピント事件」

 みなさんはジーン・ハックマン主演の『訴訟』という映画をご存知でしょうか。あらすじを簡単に紹介すると、交通事故で家族を失った男性が大手自動車メーカーを相手取った訴訟で、原告の弁護を引き受けた父親に対し、実の娘がメーカー側の弁護士となり、親子が敵味方に分かれて法廷で対立。裁判の中で自動車メーカーは自社製品の欠陥を承知で販売し、その欠陥によって事故が引き起こされたことが明らかになるというものです。

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販売好調ながら欠陥車騒動を巻き起こした1971年型フォード「ピント・セダン」(画像:フォード)。

 実は、この映画にはモデルとなった事件が存在します。それは1970年代に実際にアメリカで起きた「フォード・ピント事件」と呼ばれる欠陥車を巡っての訴訟です。

 1970年代のアメリカでは、日本やドイツから輸入される経済性に優れた小型車が市場で人気を集めていました。これを受け、アメリカの自動車メーカーは対抗策として、従来よりもサイズを縮小した小型車クラスに相次いで新型車を投入します。先陣を切ったのは小型車を得意としたAMCで、1970年2月に「グレムリン」を発表。続いて1971年1月にはGMがシボレー「ベガ」をデビューさせ、これらの新型車は発売と同時に人気を博しました。

 こうしたライバルの動きに出遅れたのがフォードです。当時、同社の社長だったリー・アイアコッカは、開発陣に檄を飛ばし、通常43か月かける開発期間を25か月へと短縮し、突貫作業で小型車「ピント」の開発を命じます。

燃料漏れで激しく炎上する欠陥車、なぜ生まれた?

 こうして1971年9月にデビューした「ピント」は、4気筒エンジンを積んだオーソドックスな設計の小型車でしたが、洒落たスタイリング、優れた操作性、輸入車に負けない経済性、豊富なボディバリエーション、そしてなによりも2000ドル(現在の価値で邦貨換算すると180万円)以下という低価格が受けて、発売初年度に35万台を売り上げる大ヒットを飛ばします。加えて、発売直後に発生した石油危機が追い風となり、1974年には50万台を超えるベストセラーになりました。

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1950~1970年代にかけてアメリカ市場で人気を博した「ビートル」ことフォルクスワーゲン「タイプI」。特に東海岸のエリート層と西海岸の若者から支持を集めた(画像:フォルクスワーゲン)。

 しかし、開発を急いだことによる弊害で、このクルマにはユーザーが想定しない恐ろしい欠陥が潜んでいたのです。

「ピント」の欠陥とは、燃料タンクの配置が不適切なことで、後方から衝突されると燃料漏れを起こし、火災となる恐れがあった点です。実はアイアコッカらフォード経営陣は、発表前の時点でエンジニアから欠陥の報告を受けていたのですが、改修コストが1億4000万ドルと見積もられたのに対し、想定される訴訟の和解金が5000万ドルと算出されたことから「改修費用よりも和解金を払ったほうが、経済利得性が高い」と判断し、部下からの報告を黙殺。欠陥を放置しました。

 その結果、悲劇は1972年5月28日に起こります。半年前に「ピント」を購入したリリー・グレイが、カリフォルニア州の州間高速道路15号線を愛車で走っていると突然エンストを起こし、後続車に追突されて車体は激しく炎上しました。

 この事故によりグレイは焼死し、同乗者のグリムショーは大火傷を負いました。その直後から「ピント」の火災事故が続出し、短期間で数十人のユーザーが被害に遭いました。

これによりフォードは被害者とその遺族から117件の訴訟を起こされます。

敗訴し、ブランドが著しく棄損したフォード

 最初の犠牲者となったグレイの裁判では、フォードを退社した元社員らが欠陥を知りながら開発を進めた事実を証言し、社外秘だったコスト比較計算の存在まで暴露されました。

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1960年代後半から日本車も低価格の割に品質が良いことが徐々にアメリア市場で存在感を示すようになる。そして、1973年のオイルショック以降に本格的に人気に火がついた。写真は日産「ブルーバード」(画像:日産)。

 これによりフォードは、陪審員裁判において「企業倫理の欠如による悪質な欠陥隠し」と断罪され、類を見ない総額1億2780万ドル(当時の日本円換算で約260億円)もの巨額の懲罰的損害賠償を命じられます。しかし、裁判官による裁定でフォードが被害者に350万ドルの和解金を支払うことで1978年に結審。類似の訴えに対しても、同社が被害者・遺族にほぼ同額の金銭を支払うことで訴訟を回避したのです。

 もっとも、フォードは欠陥車を承知で放置したことで社会から厳しく断罪されることに変わりはなく、巨費を投じて「ピント」の改修をことになっただけでは済まされず、金銭には替えられない製品の信頼性や社会的な信用も失墜させます。その結果、一時フォードは経営を大きく傾かせることになりました。

 なお、社長のアイアコッカは、会長のヘンリー・フォード2世からこの事件の責任を追及され、1978年10月にクビを宣告されました(ただ、1か月後にクライスラー社長へ電撃就任)。

 明るみにならない不正はありません。

製品の欠陥を隠蔽したり、リコール隠しを行ったりすることは、近視眼的には経済的な負担を回避できるとしても、いつかは必ず露見します。加えて、発覚したときの経営に与える影響は想像を絶するものになります。

 にもかかわらず、「ピント事件」以降も自動車メーカーによる不正は続いています。まさに「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」といえるでしょう。

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