傑作コンパクトカーの「ミニ」の高性能バージョンとして誕生した「ミニ・クーパー」。じつは1970年代から80年代にかけて消滅していたのをご存じでしょうか。
年配者の中には、通常のBMC「ミニ」を指して「ミニ・クーパー」と呼ぶ人もいますが、これは誤りです。
失格となった1966年のラリー・モンテカルロに参戦した1966年型モーリス「ミニ・クーパーS」のラリー車。この車両は1967年のフィンランド「1000湖ラリー」に優勝している。
1959年にアレック・イシゴニス氏が完成させたFF小型車の傑作が「ミニ」であって、その「ミニ」の持つ優れた資質に着目し、イシゴニス氏の友人であり、F1のレーシングコンストラクターであったジョン・クーパー氏が、チューニングを手掛けた「ミニ」の高性能バージョンが「ミニ・クーパー」です。
いわば、通常のBMWに対するアルピナのようなもので、その性能差はセダンの「スカイライン」とスポーツカーの「GT-R」ほど開きがあると考えて良いでしょう。
なぜ日本の年配者に「ミニ・クーパー」という、言うなれば特別仕様車のモデル名はここまで浸透しているのでしょうか。その一因と考えられるのが、1960年代の円安・ポンド高の影響で、当時は大衆車の「ミニ」ですら、日本で販売するとトヨタ「クラウン」を遥かに上回る価格となることから、カーマニアのお金持ちに売るならスポーツモデルのほうが売りやすいということで、当時の輸入代理店が「ミニ・クーパー」ばかりを輸入したからです。
ただ、日本で圧倒的な知名度を誇る「ミニ・クーパー」も、実は1971年にいったん生産を終了しています。では、現行「ミニ・クーパー」はどのような形でラインナップに戻ったのでしょうか。そこには半生を「ミニ」に捧げたひとりの日本人が大きく関わっていました。
そもそも「ミニ・クーパー」の市販が始まったのは1962年にさかのぼります。
翌1963年には、よりパワフルな1071ccエンジンを搭載した「ミニ・クーパーS」が誕生しています。なお、現型エンジンの排気量アップはこれが限界と思われましたが、ボア・ピッチをずらすことで1275ccまで拡大可能であると判明。これを受け、レース用モデルを経たのち、1964年からはこのエンジンを搭載したロードゴーイングカーの「ミニ・クーパーS」の販売が開始されています。
活躍するも1971年に生産を終了した「ミニ・クーパー」「ミニ」のスポーツモデルとして誕生した「ミニ・クーパー」は、高性能ながら手頃な価格ということもあって、アマチュアレーサーの間で人気を博します。そして、製造元のBMCは1964年にワークス体制を整えて、冬のアルプス山脈の険しく曲がりくねった峠道で競争する「ラリー・モンテカルロ」に参戦しました。

モーリス「ミニクーパーS」。F1ドライバーのグラハム・ヒルが前オーナーという来歴を持つ車両
その結果、軽量小型なボディにパワフルなエンジンを組み合わせた「ミニ・クーパーS」は格上のライバルを抑えて優勝。続く1966年も大量リードを持って勝利したのです。ちなみに、1966年は「ミニ・クーパーS」を含む「ミニ」勢がトップ3を独占し、完全勝利となるはずでしたが、ヘッドランプの規定違反でまさかの失格。しかし、その雪辱を晴らすかのように、1967年には見事3度目の優勝を飾っています。
こうして世界的な名声を得た「ミニ・クーパー」でしたが、BMCは1台クルマが売れることに2ポンド(現在の貨幣価値で邦貨換算すると1万8000円)のロイヤリティーをクーパー氏に支払うことを嫌い、販売終了に踏み切ります。結果、1971年に最後の「ミニ・クーパーS」がラインオフするのと同時に「ミニ・クーパー」は長い眠りにつきました。
ところが、それから16年後、栄光ある「ミニ・クーパー」が久方ぶりに復活を果たします。それを成し遂げたのはひとりの日本人でした。彼の名は丸山和夫氏。東京・墨田区の「ミニ」専門店「ミニマルヤマ」の代表を務める人物です。
1969年の渡欧で「ミニ」にすっかり魅了された丸山氏は、1973年に「ミニ」専門店の「ミニマルヤマ」を開業。以来、日本における「ミニ」のオーソリティとして、国内における「ミニ」の知名度向上と人気の盛り上げに半生を捧げました。
「ミニ・クーパー」の復活に日本人が尽力!?1980年代中頃、「ミニ・クーパー」の名声が消えて久しいことを惜しんだ丸山氏は、単身渡英し、本国では半ば忘れられた存在になっていたクーパー氏を探し当て、新車の「ミニ1000」をベースにした新たな「ミニ・クーパー」の共同開発を申し入れます。

1959年型モーリス「ミニ・マイナー」と1965年型モーリス「ミニ・マイナーデラックス」の間に立つ開発者のアレック・イシゴニス
彼からのオファーを快諾したクーパー氏でしたが、問題は車名で、「ミニ・クーパー」の商標権はBMCの後継会社であるBL(ブリティッシュ・レイランド)が所有していました。そこで車名を「ジョン・クーパー1987」(ジョン・クーパー・コンバージョンキット)として売り出すことにしたのです。
クーパー氏が手を入れたA型エンジンを、東京都下、墨田区の工場で改造した車体に組み込んで完成した「ジョン・クーパー1987」は、新車の「ミニ」の2倍というプライスにも関わらず飛ぶように売れ、日本で4000台、世界で2万台を販売しました。
そして、この成功がBL後継のローバー社に伝わると、同社は正式に「ミニ・クーパー」復活を丸山氏に打診します。これを快諾した彼の尽力もあって1991年に「ミニ・クーパー」は、ローバーから正式に復活を遂げました。
2025年7月現在、「ミニ」はローバーからブランドを引き継いだBMWによって生産されています。技術的に見れば、現行型「ミニ」は初代モデルとの繋がりはありませんが、依然として「ミニ」の高性能バージョンには「ミニ・クーパー」のバッジがつけられています。
現在の製造元であるBMWをして「丸山和夫氏がいなければ、『ミニ・クーパー』という偉大なブランドは存続せず、わが社がそれを製造することもなかっただろう」と言わしめるほど、「ミニ・クーパー」を復活させた丸山氏の功績は大きいと言えるでしょう。