旧日本海軍の局地戦闘機「紫電改」が重要航空遺産に認定されます。

海底で眠っていた「紫電改」重要航空遺産に

 日本航空協会は、2025年7月25日(金)付で旧日本海軍の局地戦闘機「紫電改」を重要航空遺産に認定します。

この機体は、46年前に愛媛県の久良湾で発見され、海中から引き上げられた機体です。現在は愛媛県南宇和郡愛南町にある「紫電改展示館」に展示されており、国内に現存する唯一の実機となります。

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アメリカ本土でレストアされた「紫電改」(画像:国立アメリカ空軍博物館)

 この「紫電改」は今後、展示館のリニューアルに伴い移設されることが決まっています。ただ、移設に向けた機体調査で、機体への影響を最小限に抑える慎重な作業が必要不可欠であることが判明。長い間海底に沈んでいた機体を移設するケースは全国的にも非常に稀なケースだといいます。

 愛媛県は機体の移設に向け、機体補強の費用をクラウドファンディングで募っており、第1目標金額の1000万円は達成しました。その後、移設用の架台制作やクレーンを使用した移設費用として、3800万円を最終目標金額として設定しています。

 なお、重要航空遺産の認定にあたっては、「紫電改」が旋回性を高める「自動空戦フラップ」や高性能エンジン「誉」などを搭載し、当時としては極めて先進的な技術を備えた機体であることや、国内で唯一の実機であることなどが考慮されました。

「紫電改」は元々、基地の防空などを担当する「局地戦闘機」として開発された機体です。水上戦闘機として開発された「強風」からフロート(浮舟)などを取り去り、陸上機に改めた「紫電」を、さらに大幅に改良した機体で、太平洋戦争中の1942年12月27日に初飛行しています。

 1万機以上が生産された主力戦闘機の「零戦(零式艦上戦闘機)」と異なり、「紫電改」の生産機数は約400機にとどまっています。その多くは松山基地を拠点とした第343海軍航空隊に集中配備され、西日本などに飛来した米軍機の迎撃戦に投入されました。

 日本軍が実戦に投入できた数少ない2000馬力級戦闘機で、所定の性能を発揮できれば、当時アメリカ海軍が主力としていたF6F「ヘルキャット」やF4U「コルセア」といった機体にも対抗可能でした。日本海軍は「紫電改」に大きな期待をかけており、戦争末期には大量生産計画が立てられましたが、終戦を迎えました。

「紫電改展示館」に展示されている機体は、1945年7月24日に呉軍港が空襲を受けた際、豊後水道上空で米軍機を迎撃し、未帰還となった6機のうちの1機。この戦いで第343海軍航空隊は、16機の米軍機を撃墜したとされていますが、鴛淵孝大尉や武藤金義少尉といった優秀な搭乗員を失い、大きな痛手を被りました。

 その後、1978(昭和53)年11月に愛南町・久良湾の海底に沈む「紫電改」が発見され、翌年7月に引き揚げられました。機体は原型こそ留めていたものの各所が破損しており、展示にあたっては、機体の開発・製造を担当した新明和工業(旧川西航空機)によって補修と防錆塗装が施されています。

【画像】この機体が重要航空遺産に!「紫電改」が海底から引き揚げられた瞬間
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