災害のため一部区間の運休が続く黒部峡谷鉄道。現在の終点は、もともと「一般人お断り」だった駅で、なおかつ駅名に「猫」がつく日本唯一の存在でもあります。
日本屈指の人気を誇るトロッコ列車の黒部峡谷鉄道(富山県)は、富山地方鉄道の宇奈月温泉駅から徒歩約5分の宇奈月駅を起点に、トロッコ車両に乗って心地よい風を浴びながら、日本一深いV字峡谷を一望できる路線です。ただ2025年夏は災害復旧工事の関係で途中駅までの運行となっており、「今だけの終点」が見られます。
黒部峡谷鉄道の電気機関車EDR形2両がけん引するトロッコ列車(大塚圭一郎撮影)
黒部峡谷鉄道は毎年4月中旬―11月末に運行しており、通常ならば欅平(けやきだいら)駅までの20.1kmを片道約1時間20分で結びます。しかし、現在運行しているのは途中の猫又(ねこまた)駅まで。もともとは工事などの作業員専用の駅で「一般客が立ち入れるのは期間限定」(観光関係者)なのです。
筆者(大塚圭一郎:共同通信社経済部次長)は「今だけよ」の駅に向かうため、宇奈月駅窓口で猫又までの切符を買いました。告げられた運賃は「2820円です」と往復分で、それには理由があります。
プラットホームには主力電気機関車EDR形2両が引いた客車が並び、富山県滑川市出身の俳優、室井滋さんによる黒部峡谷鉄道の案内放送が流れ始めました。筆者が乗り込んだ普通客車には長いすが並び、窓はありません。片道600円の追加料金が必要な「リラックス客車」は転換クロスシートと窓を備えていますが、普通客車と同じく冷房設備はありません。
実は「最初の終点」だった駅路線敷設のきっかけを作ったのが、消化酵素「タカヂアスターゼ」を発明したことで知られる三共(現・第一三共)初代社長の故・高峰譲吉博士です。
手始めに1926年、宇奈月―猫又間で運行が始まりました。地元住民を例外的に「便乗」という形で乗せていたところ、登山者などからも乗車希望が相次ぎました。そこで1929年に一般客も「便乗料金」を支払えば乗れるようにしたものの、当時発行していた「便乗証」には「便乗の安全については一切保障いたしません」と負傷した場合などの責任を負わないことを明記しました。
路線は猫又から順次延伸して、1937年に欅平まで全線開通。53年に地方鉄道法(現・鉄道事業法)の許可を取得し、観光列車運行も正式に始まりました。
なるほど…「片道切符がない理由」標高224mの宇奈月駅を出発した列車は黒部川に架かる新山彦橋を渡った後でトンネルを抜け、うなづき湖沿いにはヨーロッパの古城のような建物が出現します。これは新柳河原発電所で、隣接して一般客は乗降できない柳橋駅があります。

黒部峡谷鉄道の新山彦橋から見た黒部川(大塚圭一郎撮影)
列車が停車すると、車内放送で「列車行き違いのためしばらく停車します」と案内がありました。黒部峡谷鉄道は単線で、一部の途中駅は行き違いができる構造になっています。
反対方面の列車をけん引していたのは、凸形をした1957年製の電気機関車EDS形。
宇奈月を出発して25分後、猫又までの間で唯一乗降できる駅の黒薙(くろなぎ)に到着しました。ここには「トロッコ電車でしか辿(たど)り着けない秘湯」とうたう黒薙温泉旅館が駅から約600m離れた場所にあります。訪れたグループは「駅の先に急な階段があり、たどり着くまで大変だった」と話していました。
黒薙の駅員に手を振られながら出発したトロッコ列車は、川底から高さ約60mに架かる橋「後曳橋(あとびきばし)」(全長約64m)を渡ります。「入山者が思わず後ずさりをする」というのが命名由来とされるだけに、眼下の黒部川を眺めると迫力がありました。
乗った列車は関西電力の水力発電所「黒部川第2発電所」の脇を抜け、宇奈月出発から52分後に11.8km離れた猫又へ到着しました。
標高358mの駅はもともと作業員だけが利用していたため、旅客用に約100mの木製プラットホームが新設されました。一般供用は2024年10月5日に始まり、24年は運行最終日の11月30日まで稼働、25年は5月10日から利用されています。
とはいえ、黒部峡谷鉄道以外の移動手段がなく、周辺には宿泊施設もないため、乗務員は車内放送で「およそ20分後に発車する同じ列車に必ずご乗車ください」とくぎを刺しました。宇奈月で片道切符ではなく、往復乗車券を販売したのも、利用者が同じ列車で折り返すためです。
何もないけど「日本唯一」そして「今だけ」日本で唯一「猫」が付く駅名の猫又は、ネコに追われたネズミが駅近くにある高さ約200mの「ねずみ返しの岩壁」を登れず、追ってきた「猫も又」引き返したのが由来という説があります。

黒部峡谷鉄道の猫又駅で待機する折り返し列車(大塚圭一郎撮影)
駅前には観光案内所のテントが開設され、筆者は猫又―欅平間の状況を尋ねました。職員は「(2024年1月の)能登半島地震で猫又―鐘釣間にある崖から落石があり、黒部峡谷鉄道の鐘釣橋に当たって損傷した。復旧まで時間がかかるため、猫又で一般客も降りられるようにして折り返し運転を始めた」と説明してくれました。
黒部峡谷鉄道の部分運休は、富山県の主力産業の一つとなっている観光業にも打撃を与えています。終点の欅平駅と黒部ダムの間では全長約18kmの新観光ルート「黒部宇奈月キャニオンルート」が2024年6月末から一般開放される予定でしたが、観光関係者は「黒部峡谷鉄道の全線復旧は早くても2026年秋になると聞いており、キャニオンルートの一般開放開始もおそらく同じタイミングになる」と解説します。
キャニオンルートの一般開放が始まると、世界有数の山岳観光ルート「立山黒部アルペンルート」への新たなアクセスとして利便性が高まるとともに、観光客拡大の起爆剤になると期待されています。
関西電力などが水力発電所「黒部川第4発電所」を建設するために工事用ルートとして整備されたキャニオンルートは、蓄電池機関車がひく列車や、急傾斜を昇降するインクラインなどに乗ることができ「立山黒部アルペンルートにも負けないほどの魅力と迫力がある」(試乗した旅行会社社員)とも。
観光関係者は、黒部峡谷鉄道の全線復旧とキャニオンルートの一般開放開始時には「猫又駅の旅客扱いは終了し、一般客は再び乗降できなくなる」と断言します。駅前に設けた展望台から黒部川が蛇行する様子を眺めたり、駅名に由来するネコのフォトスポットで撮影したり、ホームを歩いたりできるのも全てが「今だけよ」の期間限定なのです。