1960年代後半、アメリカではホンダ「モンキー」や「ダックス」などの“レジャーバイク”が大人気を博しました。このブームに対抗すべく、スズキは“バッタ”の意味を持つ名前のレジャーバイクを発売しました。

どのようなモデルだったのでしょうか。

「猿」に対抗して登場した「バッタ」

 1960年代後半、アメリカでは「レジャーバイク」と呼ばれる、アウトドアシーンで乗って遊べる、新ジャンルのバイクが人気となりました。ブームは日本にもすぐ波及し、ライバルメーカーは個性的な対抗モデルを次々にリリースしました。そのうち今回取り上げるのが、スズキ初のレジャーバイクとなった「ホッパー」です。

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スズキ初のレジャーバイクで、アメリカ仕様車の「トレールホッパー(MT-50J)」(アメリカでの当時のカタログより)

 レジャーバイクのブームでは、ホンダ「モンキー」や「ダックス」「ハンターカブ」などが大ヒットを記録。特に初期のモンキーやダックスは車載できる仕様で、たとえば家族でキャンプなどに出かけた際、クルマでキャンプ地に持ち込んで近くの悪路を走り回る……といった“遊び方”が可能でした。

 こうした面白さがアメリカ人に大ウケしたレジャーバイクですが、スズキもこのヒットを横目で見ているだけではありませんでした。1970年、スズキは同社初のレジャーバイクとして、アメリカ市場向けの「トレールホッパー(MT-50J)」をリリース。翌1971年には、日本国内向けに「ホッパー50」を発売しました。

 その名も「バッタ」という意味のホッパーは、「猿(モンキー)」よりもしなやかに跳ねるようなイメージを狙っており、ボディデザインもどことなくバッタっぽい雰囲気でした。軽くて丈夫な硬質ポリエチレン樹脂製の密閉フューエルタンクを備え、コックを閉じることで、クルマのトランクに横積みすることもできました。

 また、シートとハンドルは高さが三段階で調整できるほか、ハンドルについては折りたたみが可能でした。

ただし、ハンドルは初期のモンキーやダックスがフロントタイヤ部分へコンパクトに折りたためたのに対して、トレールホッパーとホッパー50のハンドルは内側に閉じ込むだけとなっており、車載性能ではモンキーやダックスにやや劣る印象でした。

乗り味のよさは抜群だったが、“サルvsバッタ”の対決は…

 一方、エンジンはモンキーやダックスがカブ系の4サイクルユニットを搭載していたのに対し、ホッパー50はより軽いリードバルブ方式の2サイクルエンジンを搭載。悪路で粘るトルクフルな特性と、スロットル全開にした時のレスポンスのよさを両立していました。

 また、リアサスペンションはこの頃のモンキーがリジット式だったのに対し、ホッパーはツインショックを用いたスイングアーム式を採用。“遊びに使う”バイクでありながら、乗り味のよさにもこだわっていました。

 しかしホッパー50は日本国内において、やはりモンキーやダックスほどの人気を集めることができず低迷。発売時はプラモデル化されるなどそれなりに注目されたものの、その後はより独創的な新モデルの「バンバン」に後を譲り、人知れず生産終了となりました。

 不人気モデルに終わったホッパー50。しかし一方で、後年リリースされた「エポ」や「PV50」など、レジャーバイク的でありながら実用性も兼ね備えたバイクたちの“礎”でもある存在で、今なお熱心なスズキファンに語り継がれる“隠れた名モデル”となっています。

 さらにebayなどの海外サイトを見ると、今もトレールホッパー(MT50-J)のパーツリストやカタログ、部品取り車などがアメリカのユーザーから出品されており、販売当時のアメリカ市場では日本以上に支持を集めていたことも感じられます。

 国内モデルのホッパー50は、一部のファンを除いてそれほど有名なモデルではないですが、「スズキ初のレジャーバイク」「スズキがホンダに負けじとアメリカ市場を目指したモデル」として見ると、実に意義深いモデルだったように思います。

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