1970年代のレジャーバイクブームを受け、各社が女性向け「ソフトバイク」市場に参入した中、スズキは常に後手に回り続けました。しかし諦めることなく開発を続けた結果、最終的に22年のロングセラーモデルを生み出すことになります。
1970年代前半の原付市場はホンダのダックスやモンキーに端を発したレジャーバイクブームが巻き起こり、それまでにバイクに縁がなかったユーザーをも獲得しました。そして1976年、「レジャーバイクの次は女性向けバイクだ」として、ホンダが突如発表したロードパルを契機に「ソフトバイク」というジャンルも確立されます。
ホンダ、ヤマハの影に隠れてスズキも密かに優良ファミリーバイクをいくつも開発していた。写真はスワニー(画像:スズキ)
翌1977年にはヤマハがロードパルの対抗馬的スクーター、パッソルを、さらに1980年にはホンダがパッソルの対抗馬としてスクーター、タクトを発表。いわゆる「HY戦争」の熾烈な戦いがここにもありました。
結果的にヤマハ、ホンダのスクーターの応戦により、スクーター市場が活性化した功績もあるわけですが、実はこの影に隠れて、スズキも女性向けの原付を複数リリースしていました。スズキが「ファミリーバイク」として打ち出した、実にかわいらしいバイクばかりでした。
「ラッタッタ」の対抗馬、うーんちょっと違うような…「ラッタッタ」の呼称で親しまれたホンダのロードパルは、あえて自転車を思わせる細いフレームを採用することで、女性に「私にもバイクに乗れる!」と思わせました。対して、同じ1976年にスズキが発売したランディーは、シート高が低めではあるものの、まだまだバイク然としており、ギアチェンジ方式。この点ではロードパルにはるかに先を越されている印象でした。
そんな中でヤマハが打ち出したパッソルは、後のスクーターブームの火付け役にもなりましたが、ここでスズキも指をくわえて見ているわけではありませんでした。
今度は大ヒットしたパッソルに対し、パワーと乗り心地を超えられるようにと、1978年にユーディミニとユーディを発売。
また、苦い思いをしたランディーの改善版も1979年にリリース。完全オートマチックにし、急坂など大きな登坂力を必要とするときのために、低速と高速が切り替えられる手動式の副変速機も装備。ルックスとは裏腹の、この中身、今となってみればかなり面白いバイクです。
今さら「ラッタッタ」的なものを…の裏で“光る1台”も1980年代に入り、スズキもようやくロードパル的なモデルを発売します。それが1980年リリースのスージーというファミリーバイクです。
かなり簡素なプレスフレームを採用し、総重量43kgという軽さを実現。低いシート高、バーステップなどと合わせて、スズキとしては「スニーカーを履いて出かけるような感覚で乗れる」ことを売りにしました。
しかし、すでにソフトバイク市場ではロードパル的なバイクは古い印象で、パッソルと1980年発売のタクトがシェア争いをしている真っ最中でした。スズキはこれまた遅れをとった格好に。
ただし、スージーと同年の1980年に登場したスワニーというファミリーバイクは特別です。「水面を滑る白鳥をイメージしたバイク」という触れ込みで登場し、優美なボディラインと独創的な造形のレッグシールドとステップにより、女性が足をそろえて乗れるバイクでした。
筆者個人的には、ヤマハとホンダがスクーターを巡ってシェア争いをしている中、昔ながらのスズキらしい独創性を持って提案した1台が、このスワニーのように思えてなりません。
「ギャル」向けも二番煎じまた、1982年にはヤマハから若い女性を意識したソフトバイク、ポップギャルをリリース。相応のヒットを見せると、スズキもポップギャルによく似たファンファンというファッションバイクを同年にリリースしました。
しかし、ヤマハが相応のマーケティングをし、対象ユーザーの嗜好をポップギャルへ存分に投影した一方、ファンファンはあくまでもポップギャルの二番煎じ的モデルで、どこか市場ニーズとズレのある構成。結果的に、ニセモノ扱いされて姿を消しました。
シェア争いが落ち着いた後にスズキが放った「静かなるロングセラー」いわゆる「HY戦争」が落ち着きを見せた1980年代中盤になると、原付市場ではソフトバイク、ファミリーバイクというカテゴリーが鳴りをひそめ、一気に増えた各社のスクーターモデルが中心になりました。

1986年リリースのスズキ・モレ(画像:スズキ)
もちろんスズキも同時期に複数のスクーターを開発していましたが、ここでスズキが素晴らしいと思うのは、この時代にあってもファミリーバイクの開発を完全には諦めていなかったこと。
1986年リリースのモレというファミリーバイクがその象徴です。ここまでのソフトバイク、ファミリーバイク開発を試行錯誤を生かしたストイックなモデルで、簡素なファミリーバイクと言えどもしっかりとした機能を備えた、商用車にも耐えうる1台でした。
「女性新聞配達員向けのモデルを作って欲しい」モレの完成度の高さは少しずつ世に知られるようになり、後には社団法人新聞協会や新聞販売店関係者からスズキ側に「モレをベースにした女性新聞配達員向けのモデルを作って欲しい」と要望が入ります。
そこでスズキでは、1990年代前半のヒットスクーター、セピアのエンジンを流用するカタチで1994年、モレのモデルチェンジと合わせて、女性新聞配達員モデルのスーパーモレをリリース。
この評価は一般にも知られるようになり、結果的にモレシリーズは1986年から2008年まで22年に及ぶロングセラーモデルになりました。
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ここまでの通り、1970?1980年代前半までのスズキは、ホンダ、ヤマハの熾烈なシェア争いの影で遅れをとり、市場ニーズとはややズレたファミリーバイクを次々とリリースしていたようにも映ります。
しかし、それでもなおスズキが「ファミリーバイクに求められるもの」と真摯に向き合い開発を諦めなかったことで、後に配達のプロの女性も認めるほどのモレ/スーパーモレという、小さなロングセラーを実現したというわけです。ホンダ、ヤマハとは違うスズキらしいエピソードの一つではないでしょうか。