1960年、アメリカ海軍の原子力潜水艦USSトライトンは、世界初となる潜航状態での世界一周を成し遂げました。しかしその極秘任務の最中、太平洋の波間で思いがけない「目撃者」と遭遇していたのです。
アメリカ海軍の原子力潜水艦「USSトライトン」(SSN-586)は、1960年2月24日、世界で初めて潜航したまま世界を一周する「サンドブラスト作戦」を開始しました。この作戦は、ソ連との核開発競争の中で進められていた「ポラリス計画」の一環で、潜水艦搭載の弾道ミサイルによって、世界の海中のどこからでも核攻撃が可能であることを示す能力試験でもありました。
1959年に試験航行中のUSSトライトン(アメリカ海軍)
USSトライトンは、空母機動部隊に随伴する現代では見られない対空警戒用レーダーピケット潜水艦として建造されました。高速性能が求められたことから、西側の潜水艦としては唯一、原子炉を2基搭載するというユニークな艦で、同型艦はありません。
水中排水量は7900トン。1959年の就役当時、核燃料と原子炉の費用を除いた建造費は1億900万ドル(2024年物価換算で11億8000万ドル:約1720億円相当)にもなりました。技術の粋を集めた最新鋭、最大かつ高速、そして最も高価な潜水艦で、国家の安全保障と威信を賭けた「サンドブラスト作戦」の任務にふさわしい艦だったと言えるでしょう。
航路は、赤道付近の大西洋中央に位置するセントピーターアンドポール岩礁で始まり、終わることになっていました。このルートは1519年から1522年にかけてポルトガルの探検家フェルディナンド・マゼランの船団が達成した、世界初の世界一周航海の航路とほぼ一致しており、アメリカの国威を発揚する狙いもありました。
作戦の宣伝効果を高めるため、その内容は完了まで秘密にされていました。ところが1960年4月1日、その航海の途上で、まさにエイプリルフールのような思いがけない「事件」が起こります。
太平洋のフィリピン・マクタン島沖で、手漕ぎのアウトリガーカヌーに乗った漁師が、波間に不思議な物を見つけました。
通常、潜水艦は潜望鏡を上げる時は発見されないよう、また、事故防止のため海上の様子には細心の注意を払います。しかし、当時最先端のセンサーでも小型の手漕ぎカヌーは検知できなかったのです。
「滑稽な状況だ。片側には、水中の異様な物体を好奇心のこもった視線で見つめる無表情なアジア人がいる。もう片側には、金と科学で調達できるあらゆる技術の最新技術を装備して、必死の集中力で見ているアメリカ海軍士官がいる。潜望鏡の片側には、屈強な腕で推進するアウトリガーカヌー。もう片側には、1億ドルを投じて建造された世界最新、最大、最強の原子力推進潜水艦が歴史的な航海に出ている。私と彼の間には、なんと深い淵が、なんと何世紀にもわたる科学の発展が横たわっていることか!」
艦長のエドワード・L・ビーチ・ジュニア大佐は、この潜望鏡を通した“滑稽なにらめっこ”を航海日誌に記しています。

世界初の潜水世界一周の後、ナショナル・プレス・クラブで記者会見するUSSトライトンの艦長エドワード・L・ビーチ・ジュニア海軍大佐(アメリカ海軍)
ギネス記録とともに「カヌー遭遇」も記録される
トライトンは民間人に“発見”されるという一幕もありましたが、4月25日に出発点のセントピーターアンドポール岩礁に到達し、世界一周任務を達成しました。所要時間は60日と21時間。無寄港・無補給での航海はギネス世界記録にも登録され、アメリカの潜水艦による核戦略の基礎となる膨大な海洋データを収集することにも成功しました。
また、カヌーとの遭遇劇も公式記録に残され、海がどれほど予測不能で油断ならない場所であるかを伝えています。
しかし、そのカヌーに乗っていた漁師は何者だったのでしょうか。実はトライトンに乗り組んでいたナショナルジオグラフィック誌の写真家ジョセフ・ベイラー・ロバーツが潜望鏡越しにカヌーを撮影していました。
「アメリカ人が自分を探している、怖かった」後日、ナショナルジオグラフィック誌がこの漁師を探し出し、フィリピンのマクタン島プンタ・エンガノ出身の19歳、ルフィーノ・ベアリングであると特定しました。フリーランス・スター誌の記者が本人に取材し、1960年11月6日号で記事となりました。
「海の化け物に見え、とても怖かった。できるだけ早く逃げようとした」「この出来事を誰にも話さなかった」「数か月後、アメリカ人が自分を探していることを知った。理由には心当たりがあった。『化け物』は見てはいけないものだったのだ。
記事には、「ルフィーノが潜望鏡から写真を撮られ、アメリカ海軍の公式航海日誌にも載っていること。彼がトライトンを見つけた唯一の民間人であることを告げると、彼は恥ずかしそうに、はにかんだ」と紹介されています。また、ルフィーノは自分のアウトリガーカヌーに、トライトンの世界一周基準点にちなんで、「セントピーターアンドセントポール」と名付けたそうです。
USSトライトンのその後ですが、維持費が莫大で、船体も大きすぎて運用しづらかったため、就役からわずか10年後の1969年に退役し、予備役に編入されました。これはアメリカで最初に退役した原子力潜水艦でした。1986年に除籍されましたが、2基の原子炉を持つ構造は複雑すぎて解体に時間かかり、完了したのは2009年11月30日付でした。
現代では、1隻の戦略ミサイル原子力潜水艦が、一国を滅ぼせるような破壊力を持つまでになっています。1960年のエイプリルフールに、フィリピンの漁師が波間に見たのはまさに「海の化け物」だったのです。