陸上自衛隊も草創期に使用したM4「シャーマン」戦車ですが、そのなかに日本の地名が付けられたタイプが存在します。なぜそのような名称になったかを紐解くと、太平洋戦争後の日本の置かれた状況が影響していました。
第2次世界大戦において、アメリカ軍の主力戦車として大量に使用されたのがM4「シャーマン」です。
ボービントン戦車博物館に展示される76mm砲搭載型のM4A1(76)W(柘植優介撮影)。
もともとは、第2次世界大戦のヨーロッパ戦線で、ドイツ軍戦車に対抗できる性能を持つ近代戦車の必要性に直面したアメリカが、既存のM3戦車のシャシーを流用し、上モノだけ作り変えて誕生させた中戦車でした。
しかし、アメリカは戦車工場だけでなく自動車や蒸気機関車の工場なども動員して、大量生産に邁進。わずか3年3か月ほどのあいだに、各型合計で約5万両も作り出したのです。
結果、M4「シャーマン」は、イギリスやソ連(現ロシア)、フランスなど、共に戦った諸外国にも大量に供与されたほか、戦後も日本(陸上自衛隊)や韓国、ブラジル、トルコ、インドなど世界30か国以上で使用されました。
このような傑作戦車であるM4「シャーマン」のバリエーションのなかに「アカバネスペシャル」と呼ばれたものがあります。「アカバネ」とは漢字に直すと「赤羽」、東京都北区の地名である「赤羽」のことです。
なぜアメリカ製の戦車に日本の地名がついているのかというと、そこには第二次世界大戦終結と、そのあとに起きた朝鮮戦争が深く関わっていました。
1945(昭和20)年8月15日、日本が無条件降伏をして米英中の3か国が共同で出したポツダム宣言を受け入れたことで、第二次世界大戦は終わりました。そして敗戦国となった日本には、アメリカを中心とした占領軍が展開し、各地に外国軍キャンプが設けられました。
誕生のキッカケは朝鮮戦争大戦終結から5年後の1950(昭和25)年6月25日、突如、北朝鮮が韓国に向けて侵攻を開始、朝鮮戦争が始まります。

「赤羽スペシャル」を生み出す際に参考にされたM4A3E4。見た目はほぼ同じ。写真はユーゴスラビア陸軍に供与されたもの。
アメリカは当初、北朝鮮の戦力を過小評価していたため、戦車については輸送しやすい小型のM24「チャフィー」軽戦車を朝鮮半島に投入します。しかし、北朝鮮が装備するソ連製のT-34-85戦車に太刀打ちできなかったため、M4「シャーマン」戦車が送られることになり、また一部の車体については火力向上のために、急きょ東京都北区赤羽にあるアメリカ軍の「東京オードナンスデポ」で改良が加えられることになりました。
赤羽周辺には、大戦終結まで旧日本陸軍の造兵廠(兵器工場)が多数あり、終戦で連合国に占領されると、それらはアメリカ軍キャンプに転用され、いくつかは造兵廠の機械設備を流用して連合国軍である進駐アメリカ軍の兵器整備工場として用いられました。
この整備場が前出の「東京オードナンスデポ」です。ここには当時、フィリピンや中国(中華民国)、韓国などにアメリカが供与しようとしていた中古兵器が再整備のために集められていました。また朝鮮戦争が始まると、最前線で酷使された戦車をはじめとした各種兵器も、修理や整備などのために後送されており、それらを活用してM4戦車の改良を行おうというのは自然な流れだったといえるでしょう。
結果、こうした各種作業がここで実施されたため「赤羽」という地名が愛称になったのです。
より強力な戦車が駆け付けたことで出番消滅「赤羽スペシャル」が作られる際、参考にされたのが、大戦後にアメリカBMY社が改良していた中古M4戦車でした。

ボービントン戦車博物館に展示されるM46「パットン」戦車。主砲は90mm砲(柘植優介撮影)。
M4「シャーマン」戦車には短砲身の75mm砲搭載型と、装甲貫徹力を増した長砲身の76mm砲搭載型があり、前者は砲塔が小さく、後者は大きなものを用いていました。
BMY社の改良プランは、75mm砲搭載の小型砲塔に貫徹力の高い76mm砲を搭載するもので、改良された車体は識別のために、型式末尾に「E4」を加えた「M4A1E4」や「M4A3E4」などと呼ばれました。この改良はアメリカ本土で1940年代末から行われていましたが、このような実績があったため、日本でも比較的容易に改良できると考えたのでしょう。
しかし結局、「赤羽スペシャル」が朝鮮戦争に参加することはありませんでした。なぜならアメリカが本腰を入れて本土から増援部隊を送り込むようになったことで、戦車についてもM4「シャーマン」よりも強力な、M26「パーシング」やM46「パットン」といった大型戦車が使用されるようになったからです。
ただ、「赤羽スペシャル」を生み出す元になったM4A1E4やM4A3E4は、親米国への供与兵器として用いられ、前者はパキスタンなどで、後者はデンマークやユーゴスラビア、インドなどで運用されました。
「赤羽スペシャル」は写真でしか見ることができませんが、兄弟車であるM4A1E4やM4A3E4は世界各地で展示されているため、その面影を感じ取ることはいまでも可能です。