地域密着型ビジネスを続けるダイハツのイメージ

 洗練されたもの、美しいものが必ずしも成功するとは限らないのが自動車ビジネスの難しいところです。地方に強く、地元密着型のダイハツから生まれた3代目「シャレード」は、ブランド力と企画力やデザイン力のミスマッチにより不遇を囲うことになったクルマでした。

【似てる?】これが「シャレード」デザインをパクったフランス車です(写真)

 そもそもダイハツは、トヨタなどからのOEM車を除いた自社開発モデルに中・大型車がなく、スポーツカーも軽自動車規格の「コペン」くらいしかありません。ゆえに、生活密着型の軽自動車や小型車を得意とするメーカーです。2023年末の認証不正問題でイメージダウンはあったものの、ダイハツ車のユーザーからは「良品廉価」や「親しみやすいブランド」と概ね好意的な印象を持たれているようです。

 一方で、軽自動車の市場で長年にわたりシェアトップを維持していたことに加え、都市部よりも地方に強い地域密着型のブランドということもあってか、一般には「田舎のオッサンやオバハン御用達のメーカー」とのイメージを持たれることも多く、そうしたことから一部からは「ダイハツ車=ダサい」と評されたりすることも見受けられます。

 このことはダイハツ関係者も自覚しているようで、随分昔に筆者(山崎 龍:乗り物系ライター)も、ダイハツの幹部社員から「ウチは地方のおっちゃんやおばちゃん相手に商いさせてもろてるメーカーやから……」とコテコテの大阪弁で聞いたのを、いまだに覚えています。

 そうした一般的なイメージとは裏腹に、評論家や専門家のあいだでは、ダイハツの斬新でユニークな商品企画や精錬されたカーデザインは高く評価されています。

 とはいえ、ダイハツにとって不幸なことは、そのことが一般にはほとんど知られていないということ。そのことを体現したモデルと言えるのが、「シャレード」です。

 1977年にデビューした初代「シャレード」は、1960年代の「コンソルテ」以来、久しぶりにダイハツが独自開発した小型乗用車です。当時の国産車で唯一のリッターカーであるとともに、心臓部には革新的な4ストローク直列3気筒エンジンを搭載。「5平米カー」と評されたコンパクトなボディは、車体の四隅にタイヤを置いたフランス車的なフォルムで、それでいながらドイツ車「ゴルフI」に影響を受けたディテールを併せ持つ、ヨーロピアンルックなデザインにまとめられていました。

ダイハツの優れた企画力やデザイン力を体現した「シャレード」

 1983年に2代目へモデルチェンジすると、一転してシャープなウエッジシェイプデザインが特徴のイタリアンルックに変身。

デ・トマソとの共同開発によるホットハッチの「シャレード・デ・トマソ」や、世界ラリー選手権(WRC)のホモロゲーション取得のための「926ターボ」なども販売されました。

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初代ダイハツ「シャレード」(画像:ダイハツ)。

 そして、1987年に誕生したのが3代目「シャレード」です。このモデルはダイハツが主戦場としていた地方のみならず、都市部や輸出市場の獲得を目指し、車体を若干大型化した上で、Cd値0.32というエアロダイナミクスボディを与えました。このクルマを担当したのは、社内デザイナーの青木宏氏と上田英之氏で、曲面を多用しリアを絞り込んだ、例えるならフランス車を思わせるエモーショナルなスタイリングになりました。

 デビューとともに3代目「シャレード」のスタイリングは専門家や評論家から絶賛され、ダイハツの販売網が脆弱であったヨーロッパ市場でも一定の評価を得たようです。ところが、肝心の日本市場では販売が伸び悩みます。理由のひとつに車格が向上したことによる値上げがありました。しかし、それ以上に苦戦の原因となったのが、その「美しすぎるスタイリング」だったのです。

 3代目「シャレード」はコンパクトカーながら安定感と上質感があり、現在の目で見ても精錬された美しいクルマです。のちにルノーはこのクルマのスタイリングを模倣して、初代「クリオ」(日本名「ルーテシア」)をデビューさせたほど。そのことからも、3代目「シャレード」の完成度が高かったことがわかるでしょう。

 しかし、ダイハツ車のメインユーザーは、冒頭で記したダイハツ幹部社員の言葉を借りれば、ごくフツーの「田舎のおっちゃんやおばちゃん」です。目新しい、外車のようなデザインはかえって落ち着かず、むしろ見慣れた日本車然としたルックスの方が安心します。

 地方は、日本家屋が多く、田畑や山林が広がっています。誤解を恐れずに言えば、「ムラ社会」である日本の田舎でヘタに目立つのは、近所づきあいなどを鑑みるとできれば避けたいでしょう。「出る杭は打たれる」の言葉どおり、田舎で洗練されたものや美しいものを身に付けていると、「スカしている」だの「気取り屋」だのと陰口を叩かれた挙句、気がつけば村八分ということにもなりかねません。

地方では斬新すぎ、都市部では企業イメージが邪魔に

 その一方で、こうした美しさや洗練を好むユーザー、とくにバブル期から増え始めた横文字系の職業の人々は都市部に多くいます。しかし、ダイハツはこうした地域では販売網が弱いうえ、彼らはクルマとしてのデザインや中身よりも、ブランドをありがたがる傾向があります。3代目「シャレード」がイタリアやフランスのメーカー、あるいは国産メーカーでもホンダあたりから発売されていれば、彼らはこぞって購入したかもしれません。

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3代目ダイハツ「シャレード」5ドア(画像:ダイハツ)。

 ダイハツというと、軽自動車、とりわけ軽トラックや軽商用車の販売台数が多いため、その企業イメージゆえに、どうしても外車や国産高級車を乗り回すユーザーには最初から引っかからなかったのです。

 地方と都市部、いずれのユーザーにも受け入れられなかった3代目「シャレード」は、1993年にモデルチェンジ。4代目ではデザイン性を抑える方向へとシフトしました。

 しかし、ダイハツのデザイナーのクリエイティビティにブレーキをかけることはできなかったのか、1998年に登場した実質的な後継者の「ストーリア」では、他にない個性とユニークなスタイリングで勝負を仕掛ける方向へ舵を切りました。

 ただ、結果は販売力の差からトヨタにOEM供給された「デュエット」の方が売れたのです。結果、2001年のマイナーチェンジではトヨタの要望を受け入れる形で、フロントマスクを一新してしまいました。

 おそらく、日本の大衆の好みを知り尽くしているトヨタならばこのような失敗は犯さなかったでしょう。彼らは一流のセンスと実力を持ちながら、商売のために、敢えて先鋭的なプロポーションにせず、「キープコンセプト」なデザインへと自ら抑制する術を弁えているのですから。

 ブランド力と企画力、そしてデザイン力のミスマッチ。そのことが今も昔もダイハツの課題なのかもしれません。しかし、玄人を「おっ!」と言わせるクルマ作りこそがダイハツの魅力でもあると、最後にフォローの意味も込めて記しておきましょう。

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