「小さくたってハイブリッド」をアピールしたスズキ「ツイン」

 電気とガソリンのハイブリッドタイプのクルマは、1997年の暮れに発売された初代トヨタ「プリウス」が実質的な量産モデルの第1号となったのを皮切りに、1999年にホンダが「インサイト」を、2000年には日産が「ティーノ」のハイブリッド仕様をリリースしました。その後もハイブリッドカーは技術発展や環境意識の高まりから普及し続け、今では広く一般的な存在となっています。

【こんなに狭いの?】これが空前絶後の「2人乗り軽ハイブリッド」です(写真で見る)

 軽自動車では2002年にダイハツが「ハイゼットカーゴ」をベースにハイブリッドモデルを開発しましたが、あくまでも地方自治体での試験的運用にとどまり、一般向けには販売されませんでした。

 しかし翌2003年、ついに市販モデルとしては初となる軽自動車のハイブリッドモデルが登場しました。スズキがリリースしたそのクルマの名は「ツイン」。全長わずか2735mmと、軽自動車としては最小の2シーターモデルにして、最新のテクノロジーを詰め込んだ1台となっていました。

 ツインは1999年の東京モーターショーで好評を博したコンセプトカー「Pu3-commuter」の基本デザインを踏襲して開発されましたが、この段階ではスズキのハイブリッドシステムはまだ完成していませんでした。ハイブリッドモデルのプランは、モーターショーでの反響を見ながら開発計画に落とし込まれていったものと思われます。

 後に、このハイブリッドシステムはエンジンとトランスミッションの間に、薄型のモーターを配置する構成で具現化され、他社に比べてコンパクトに仕上がりました。結果、ツインは3気筒ガソリンエンジンモデルと並び、市販軽自動車では初となるハイブリッドモデルをラインナップ。「こんなに小さくても、ハイブリッド車は実現できる」とアピールしながら市場に送り込まれました。

2000年代前半にリッター34kmを実現! しかし…

 2シーターの極めて小さいボディも相まって、ツインハイブリッドはリッター34kmという当時としては驚異的な低燃費も実現。ただし、ガソリンモデルが49~84万円という安さだったのに対し、ハイブリッドの価格は129~139万円と2倍以上でした。そのためか、ツインハイブリッドの販売は伸び悩み、わずか3年弱という短い期間で生産を終えることとなりました。

 短命に終わったツインハイブリッドですが、もっとも当時、ハイブリッド車は最先端の存在であり、その優位性は一般にはまだまだ認識されていませんでした。今ではハイブリッドカーの代表格として広く浸透したプリウスでさえ、初代は満足な販売成績を収めされなかったことを考えれば、これは妥当な結果だったとも言えます。

 また、スズキは当初からツインに販売成績は求めておらず、むしろ「自社の意義ある取り組みを知らしめる」役割の方を重視していたとも考えられます。それはツインハイブリッドが販売開始からしばらくの間、届け出の上ではガソリン版の「改造車両」として取り扱われていたことからも推測できます。

 ツインは2人乗りマイクロカーという斬新なパッケージングであったうえ、「軽のハイブリッド」はスズキにとっても社会にとっても前例のない、ニーズが全く未知数なものでした。大失敗も予測できたなか、スズキが将来のクルマのあるべき姿を模索しながら開発したツインは、自動車史に残る「小さな名車」と呼んでいい1台でしょう。

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