1930年代、鉄道業界において、世界的に流線形というデザインが流行した時期がありました。これは日本だけではなく、アメリカでも同様で、多くの流線形車両が登場していましたが、中でも異形を放っていたのが「パイオニア・ゼファー」でしょう。
【画像】これが「爆速世界初のオールステンレス鉄道車両」全貌です
この車両は外形だけでなく技術的にも先進的で、鉄道技術史の1ページを飾る車両ともいうことができます。蒸気機関車が主流の時代に早くもディーゼルエンジンを搭載し、先頭部や最後部の形状はもちろん当時流行りの流線形。そして車体はステンレス無塗装でした。なお、この車両で使われている技術は戦後の日本の車両製造にも大きな影響を与えることになっています。
「パイオニア・ゼファー」誕生のきっかけは二人のバッド氏(親戚関係にはない)の出会いから始まります。1932年、当時グレート・ノーザン鉄道の社長だったラルフ・バッド氏は大恐慌後の影響で低迷していた旅客需要をテコ入れするために人々が乗りたくなるような画期的な車両を導入したいと考えていました。そんな矢先に出会ったのがもう一人のバッド氏、バッド社の社長、エドワード・バッド氏です。
バッド社はステンレス鋼を接合するために独自に開発した「ショット溶接」を用いてステンレス製の車体を作ることを得意としていた会社でした。同社が試作したステンレス製の気動車を見たグレート・ノーザン鉄道のバッド社長は次なる看板列車はステンレスで製作することを決めたのです。
ステンレス鋼は軽量で塗装しなくても錆びることがないのでいつまでも美しい光沢を放ち続けます。その利点を生かして流線形の車体で製作されたのが世界初の流線形ステンレス製気動車「パイオニア・ゼファー」でした。
「パイオニア・ゼファー」は連接構造の三両編成で600馬力のエンジンで発電機を駆動し発生した電気でモーターを回す電気式気動車です。先頭車に機関室、郵便室・荷物室があり、2両目と3両目が客室で、流線形の最後部にはラウンジ・スぺースがあります。
「世界初のオールステンレス車両」影響は日本にも?颯爽と登場した「パイオニア・ゼファー」は速度記録を目指して高速走行試験が行われることになりました。1934年5月26日に実施された同車両の宣伝走行「日の出から日没まで」とでは、コロラド州デンバーからイリノイ州シカゴまでの1633kmが選ばれます。営業中の本線を使用した記録走行のため踏切には警備員が配置され、試験列車を優先するため他の列車は側線に退避するなどの措置が取られました。に
「パイオニア・ゼファー」はこの区間を無停車で走破し所要時間13時間5分の記録を達成。平均速度124km/h、最高速度181km/hは1930年代としては立派な記録ではないでしょうか。斬新な姿だけでなく、優れた走行性能も実証したこの列車は同年11月から営業路線にも投入され、同型の車両が複数の路線で活躍しました。
この技術に着目したのが1952年に東急車両の社長に就任した吉次利二氏でした。同氏は海外視察の時にブラジルでバッド社製のステンレス車両に乗車したことをきっかけに、バッド社と技術提携を締結しステンレス車両の製造を始めました。こうして作られたのが日本初のオールステンレス構造の東急7000系でした。古くからの鉄道ファンの中には、その後、東急車両製の電車の車内にバッド社との技術提携により製造された旨を示す銘板が貼られていたのをご記憶の方も多いのではと思います。
ステンレス車両は海水による腐食を防ぐため関門トンネルで使用されたEF10型やEF30型電気機関車で早くから採用されていましたが、それらの車両は外板のみがステンレスだったことから錆びを完全に防ぐことはできませんでした。東急7000系から始まったオールステンレス車両は外板だけでなく台枠や骨組みまで全ての構造部材がステンレスで作られているため、錆から解放されたことに加え、軽量で長寿命、さらに無塗装のためメンテナンスの費用も節約できる優れた特徴があります。そのため、現在では電車や気動車のほとんどがステンレス製です。「パイオニア・ゼファー」で実用化された技術が21世紀の今でも生かされているといえるでしょう。
その「パイオニア・ゼファー」は一編成がシカゴ科学産業博物館で保存されています。車内もきれいに復元され、展示室の壁一面にプロジェクターによる風景が投影されているので、座席に座ると車窓の外を流れる風景を眺めることができます。-