新駅開業で生まれた「ポツンとバス停」

 九州有数の景勝地である桜島と錦江湾が目の前に広がる鹿児島市の好立地に、JR九州日豊本線の新駅「仙巌園」が2025年3月15日に開業しました。日本屈指の「海に近い駅」のプラットホームから一望できる雄大な景色は、見る人の心を落ち着かせます。

【なるほど“ポツン”だ…】問題のバス停(地図/写真)

 振り返って駅の反対側を眺めると、クルマの往来の激しい国道10号の道路上の落ち着かない場所に「仙巌園前」と記されたバス停の標識がポツンと残されてきましたが、この標識が8月28日夜に撤去されました。

 仙巌園前の停留所を通る路線バスは、南国交通と鹿児島交通が走らせてきましたが、両社の対応は二分しました。標識の場所は、両社の鹿児島中央駅行き路線バスの停留所として使われてきました。

 文字通りバス停の前にある「仙巌園」は、現在の鹿児島県と宮崎県南部からなる薩摩藩の藩主だった島津家の別邸でした。現在は観光客が見学でき、2018年に放送されたNHKの大河ドラマ「西郷どん」で鈴木亮平さんが演じる西郷隆盛と、渡辺 謙さん扮する島津斉彬が相撲をとるという手に汗を握るシーンは仙巌園で撮影されました。このような史実はなく、あくまでもフィクションです。

 世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産」の構成遺産の旧集成館も近くにあり、筆者が2025年3月に現地を訪れた際には大勢の観光客でにぎわっていました。

車線を改築し「バスベイ」新設 しかし

 国道10号の鹿児島市街地方面は、仙巌園前で直進と左折の2車線になっています。バス停の標識は、左折車線上に長らく残されていました。

 背景には、こんないきさつがあります。国土交通省鹿児島国道事務所によると、国道10号で相次いでいた自動車の追突事故を減らすために仙巌園前付近の通行ルートを2024年3月に変えました。国道10号の鹿児島市街地方面はそれまで直進2車線でしたが、1車線を活用して約200mの左折車線を新設し、その車線沿いの歩道に切れ込みを入れて路線バスが停車できるスペース(バスベイ)を設けました。

 そこで、車道上で停車していたバスの停留所をバスベイへ移し、左折車線上の標識を撤去する計画でした。この場合には、鹿児島中央駅行きのバスは左折車線からバスベイに乗り入れ、利用者が乗降します。仙巌園駅は目と鼻の先にあるため、JR日豊本線と容易に乗り換えられます。

 ところが、この場所にバスベイを設置したことが国とバス会社が“がっぷり四つ”に組む事態を招いたのです。

「安全性が向上する」「安全担保できない」分かれた見解

 仙巌園前の停留所を通る路線を走らせてきた2社のうち鹿児島交通が、バス停の移設に反対しました。

「バス停移設して」「難しい」 国とバス会社の対立劇、利用者不...の画像はこちら >>

JR日豊本線の仙巌園駅。ホームの目の前が海だ(大塚圭一郎撮影)

 鹿児島交通は、理由としてバスベイが丁字路の交差点内にあり、鹿児島中央駅行きのバスがバスベイから走行する直進車線へ戻る際に、次の信号までの短い間で2車線分の車線変更が必要になることなどを挙げて「運行の安全性を確保できないと判断した」と説明しています。

 利用者の人命を預かるバス会社として安全性を重視する姿勢は理解できます。一方、2車線分の車線変更が必要なバス路線は国内に他にもあり、そのような場所では「車線の後ろを走るクルマはバスが車線変更できるように譲っている」とも聞きます。

 残る1社の南国交通は「従来より安全性が向上する」として移設に賛成しました。

 バスベイが完成した後も、路線バスは左折車線の標識がある場所に停車し続けたため、鹿児島国道事務所は標識の設置者である鹿児島県バス協会に対して3回にわたって標識の移設を求める勧告書を提出しました。

 ただ、鹿児島県バス協会を務めているのは、鹿児島交通を抱える地元有力企業「いわさきコーポレーション」の岩崎芳太郎会長です。

岩崎氏は鹿児島商工会議所会頭も務めている地元経済界の重鎮です。ある運輸業界関係者は「鹿児島県バス協会は、鹿児島交通が実質的に主導しているようなものだ」と指摘します。

 勧告に対して鹿児島県バス協会は「承諾できない」と回答し、仙巌園前停留所を使っている南国交通と鹿児島交通に対応を任せるとしました。

 鹿児島国道事務所は再三にわたる勧告に応じなかったとして、2025年8月6日付で鹿児島県バス協会に対して移転措置命令を出しました。期限を同年8月末と定め、鹿児島県バス協会は左折車線上の標識を撤去しました。

「苦渋の決断」でバス停廃止という結末

 これで一件落着と思われたバス停の対立劇には、まさかの結末が待ち受けていました。移設に反対してきた鹿児島交通は2025年8月28日、仙巌園前バス停のうち鹿児島市街地方面の停留所を同月31日をもって廃止すると発表したのです。

「バス停移設して」「難しい」 国とバス会社の対立劇、利用者不在の“あっけない幕切れ”に
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鹿児島市内を走る鹿児島交通の路線バス(大塚圭一郎撮影)

 鹿児島交通は停留所の移設先となるバスベイの代わりに、「安全性を確保できる適切な場所」と見なした位置への停留所移設に向けて鹿児島国道事務所へ許可申請をしました。

 しかし、移転措置命令の期限となる8月末が迫る中で許可が下りないため、利用者への周知期間なども考慮して「8月31日をもって廃止という苦渋の決断をした」とコメントしました。鹿児島交通は廃止に伴い、継続利用が困難になる仙巌園前発着の定期券の所有者には、有効期限内に使用残日数を日割り計算で払い戻します。

 鹿児島中央駅行きバスは9月以降、停留所移設に応じた南国交通がバスベイへ乗り入れるようになった一方、鹿児島交通は素通りするようになり、対応が二分しました。

 国の移設措置命令に従わずに停留所を廃止するという鹿児島交通の決断は、「西郷どん」の相撲のシーンで西郷隆盛が島津斉彬に花を持たせることなく破ってしまうシーンをどこかほうふつとさせます。

ただ、九州屈指の景勝地と観光名所に近く、仙巌園駅も目の前にあるバス停を素通りしてしまう選択は、鹿児島交通の路線バスの利便性を低下させるだけに、判断の適切性で軍配が上がるかどうかは疑問符が付きそうです。

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