いまから約51年前の1974年9月1日、アメリカが極秘裏に開発した偵察機SR-71「ブラックバード」が、ニューヨークからロンドンまでを1時間54分56秒で飛行するという記録を達成しました。単純な平均速度は約2,908.19km/hに達し、高高度飛行時にはマッハ3以上で飛行していたとされます。
【あ、UFO!!】いえ偵察機です…これが、間違えられた可能性のある初期U-2です(写真)
このような圧倒的な速さで知られるブラックバードですが、今年で就役から51周年を迎え、それにちなんだ「51」にまつわるエピソードもあります。それが、同機の組み立てやテストが、ネバダ州にあるアメリカ空軍の極秘軍事区域「エリア51」で行われていたという点です。
このエリア51といえば、2013年に情報公開請求に基づきアメリカ中央情報局(CIA)が存在を認めるまで、公式には存在しない施設とされており、軍関係者の中でも一部の限られた人しか内部の詳細を知りませんでした。
一方で、エリア51周辺ではたびたびUFOの目撃情報があり、「宇宙船や宇宙人に関する技術の研究が行われているのではないか」とオカルト愛好家の間で噂されるなど、実態が明らかになる前から“有名な未確認施設”として知られていました。最近では、このUFO騒動そのものが、意図的に拡散されていたのではないかという説も出ています。
エリア51でテストされていた有名な航空機には、超高高度からの偵察任務を担ったU-2、U-2では回避できない対空ミサイルに対応するために開発された高高度偵察機SR-71「ブラックバード」、そして世界初の本格的ステルス軍用機F-117「ナイトホーク」などがあります。
1950年代にエリア51で巻き起こったUFO騒動のきっかけは、アルミの銀色ボディが光を強く反射するU-2の試験飛行だったとも言われています。当時は塗装されておらず、空高く飛ぶ機体が不思議な光を放って見えたことで、UFOと誤認されたようです。
これらの機体は、ロッキード社(現:ロッキード・マーチン)の先進開発部門「スカンクワークス」が開発を担当しました。当然、機体そのものはエリア51の内部で製造されるわけではなく、ロッキードの施設で極秘裏に製造されたものを、慎重にエリア51まで運び込む必要がありました。
輸送は特注の密閉コンテナに入れ、秘匿性を保った状態で行われましたが、機体は非常に大型であるため、公道を使う以上、人目に触れることは避けられません。
さらに、テスト中の機体が飛行する際には、「当時の常識では考えられない高高度を飛ぶ飛行物体」「驚くべき高速で飛行する未確認機体」「目視できるのにレーダーに映らない謎の存在」などとして目撃され、UFO伝説の“証拠”として語られるようになりました。
最近では、アメリカ軍やCIAが、こうしたUFO報道を新型航空機開発のカモフラージュとして意図的に利用していたのではないか、という見方も広まりつつあります。
UFOではないが飛ば際はスペースシャトルくらい手間のかかった「ブラックバード」なお、このブラックバードですが、UFOではないものの、スペースシャトル並みに発進準備に手間がかかる機体として知られています。
SR-71「ブラックバード」(画像:アメリカ空軍)
というのも、操縦環境が非常に過酷で、U-2と同様にパイロットは宇宙飛行士と同じような与圧服を着用して搭乗していました。
さらに、運用面でも多くの人手と準備が必要でした。SR-71は「マッハ3の飛行環境下で正常に機能するよう設計」されており、高速飛行時の高熱でチタン合金の機体が熱膨張して適正な状態になるという特性を持っていました。そのため、地上では燃料タンクに隙間があり、燃料が漏れ出すという問題がありました。このため、離陸時には燃料を満タンにせず、飛行後に空中給油を行う必要がありました。
また、飛行中は空気との摩擦で機体全体が高温になり、コックピット内も非常に暑くなったといいます。そのため、食事は与圧服を着たままチューブから摂る方式でした。
さらに、機体に使用されていたオイルなどの潤滑材は、耐熱性を重視して設計されていたため、地上では固体となっており、液体に戻すためには約1日がかりの準備作業が必要でした。
操縦面でもSR-71は、低速性能をほとんど考慮していなかったため、低速飛行時の安定性が非常に悪く、着陸時の事故リスクが他の偵察機と比べても格段に高かったとされています。
まさに「選ばれし者」だけが操縦できる機体であり、配備から退役までの間にSR-71を操縦したパイロットは約90人ほどしかいなかったといわれています。
結局、東西冷戦の終結とともに、これほどまでにコストと手間のかかる偵察機は不要と判断され、先に開発されたU-2よりも早く、1990年代末に退役しました。