近日中に貸切バス運賃の「基準額」が改定され、修学旅行や旅行会社のツアーなどで貸切バスを利用する際の運賃(チャーター代)が値上げとなる見込みです。
【いくらするか知ってる?】これが「貸切バスの運賃」です!(画像)
貸切バス事業は、重大事故が続いたため、2014年にいわゆる「新運賃・料金制度」が導入されました。
一時は「言い値」で走るしかなく、「デフレ経済の象徴」のようだった業界ですが、その様相は一変しました。一方で、歴史を振り返ると、順風満帆とはいかない将来像も見えてきます。
戦後から1980年代まで団体旅行全盛期を支えた貸切バス戦後、日本の観光産業は、遠足などの教育旅行、会社や町内会の慰安旅行といった団体旅行中心に成長し、貸切バスはその主役でした。1950~60年代の「毎年、会社が旅行に連れて行ってくれる」という習慣は、有意義だったことでしょう。国民はまだ貧しく、休みも少なく単調な毎日の中、初めて見る富士山や東京タワーは、人々のモチベーション向上に寄与したはずです。
70年代には個人旅行も増加しました。とはいえ、例えば1973年に結婚した全国のカップルのうち実に35%が、NHK「連続テレビ小説」の舞台となった宮崎県に新婚旅行に行ったと言います。新婚旅行という人生で最もプライベートな場面でさえ、当時は、テレビが有名にした観光地へ、旅行会社のツアーで訪れたのです。前年には、バスガイドを主人公としたテレビドラマ『なんたって18歳!』もヒットしています。
80年代に入ると、欧州製の二階建てバスや、豪華なシャンデリアとサロン座席を備えた車両がブームとなり、カラオケ機器も普及します。
この頃、貸切バスの新規参入や増車は厳しく規制されていました。そのためバスは慢性的に不足し、修学旅行を主催する教育界やバスを手配する旅行会社の中で、貸切バス業界は「殿様商売」という印象が定着しました。
殿様商売がなぜ「買い叩かれる存在」になったのか?しかし、国民が豊かになり旅慣れが進むと、旅行形態は団体旅行から個人旅行へとシフトし、貸切バスの出番も減り始めます。自家用車の普及や高速道路の延伸などにより、クルマ旅行も増加しました。バブル崩壊後の1990年代後半から社員旅行は激減しました。
企業(商業施設や工場)の送迎バスも貸切バスの市場だ(成定竜一撮影)
ちょうどその時期、国全体で規制緩和の流れが到来し、貸切バスも参入規制が緩和されました。需要減少と供給増加が同時に起こったのですから、「殿様商売」は一転。旅行会社が買い叩く「買い手市場」となり、運行コスト削減により重大事故も相次ぎました。
その後、国などの監査体制が強化され劣悪な事業者は退出するとともに、冒頭で述べたように運賃(チャーター代)は再び上昇し、業界としては一息ついたのです。
もっとも、貸切バス市場の今後を考えると、市場の縮小は必定です。個人旅行化の動きは加速しますし、少子化で教育旅行市場も縮小します。
インバウンドも、一時は「爆買いツアー」という言葉さえ生まれましたが、今日では団体ツアーではなくFIT(個人自由旅行)中心に変化しています。精緻なデータがなく筆者(成定竜一・高速バスマーケティング研究所代表)によるラフな推計ですが、2024年の団体での訪日客数は、2014~15年当時と同レベル。その間に、訪日客全体の数は2倍に成長しています。
その分、新宿~富士五湖や博多~太宰府などの高速バスはFITの需要が爆発していますが、貸切バスの需要は伸びていません。
それどころか、貸切バス運賃の再値上げが伝えられると、年間契約で貸切バス事業者に発注していた従業員の送迎業務(駅~工場など)を、自社で車両を購入し自社または管理請負業者の従業員が運転する内製化(白ナンバー化)の検討に入る企業も出てきました。
足元では、国の制度により「走れば必ず儲かる」状態。一方で長期的には縮小が予測される市場。難しい環境の中、各社の戦略は分かれます。
東京の老舗貸切バスはすでに「撤退」も例えば東京の老舗5社で見ると、まず老舗中の老舗「ケイエム観光バス」は、百貨店送迎など例外を除いて一般的な貸切バス事業から2021年に撤退済みです。

東京の名門事業者、東都観光バス。この日は大型イベントの輸送を受注(成定竜一撮影)
同社と並ぶ老舗「帝産観光バス」は、東京と大阪に営業所を構える利点を活かし、貸切バスに加え高速バス事業に積極的です。
「日の丸自動車興業」は、「スカイバス東京」など個人客向けの定期観光バスや、東京駅周辺などの無料巡回バスの運行業務にも注力。大型バス未経験の新人乗務員は、まずは決まったルートを走る無料巡回バスからスタートし、将来的には二階建てバスなどにも挑戦するというキャリアパスの生成にも成功しました。
5社で唯一、貸切バス事業に専念するのが「東都観光バス」です。経営者の若返りを機にITを積極活用するなどし、主に教育旅行の分野をさらに追求しています。
やはり狙うインバウンド その先に成長は?老舗たちが「五社五様」の戦略を採る中、地方部の会社や中小事業者らは、アジア各国などからの小パーティ(数人~十数人程度の小グループでの訪日)市場をターゲットに、中型バスやマイクロバスに高級座席を設置したハイグレード車両を導入したり、バスではなく高級ミニバンを使う新業態「都市型ハイヤー」に参入したりする事例も目立ちます。
考えてみれば、高度経済成長期からバブル期まで、厳しい参入規制の下、それぞれの県で貸切バスを営業することができる「配車権」こそが、貸切バス事業者にとって生命線でした。規制緩和以降は、低運賃を売りにする新興、零細事業者が多くの仕事を奪いました。では運賃額が横並びとなった今、貸切バス事業者の生命線は何でしょうか。
一つには、安全確保の取り組みを具体的に公表し、旅行会社や学校、保護者らからの信頼を得ることです。
もう一つ、国全体で労働力が不足する中で、いかに乗務員を確保するかも重要です。
貸切バス事業者自身もまた、成長戦略を描くことが求められています。足元の高収益を従業員の待遇改善や車両更新に上手に投資するとともに、高速バスなど新たな分野にも挑戦し「一歩ずつ階段を上る」ステップを描けなければ、いかに足元が高収益でも、縮小する市場から追い出されてしまうでしょう。