M10「ブッカー」戦闘車はアメリカ陸軍の歩兵旅団戦闘チーム向けに、直協火力を与える目的で開発、導入された戦闘車両です。アメリカ陸軍にとって久しぶりの新型AFV(装甲戦闘車両)として、試験中より国の内外から注目を集めていました。
【もう見られない?】これがM10「ブッカー」戦闘車の105mm砲射撃です(写真)
2022年6月に、開発元のゼネラル・ダイナミクス・ランド・システムズ(GDLS)と米国防総省が生産契約を締結すると、2023年6月に型式と愛称が発表され、昨年(2024年)には最初の量産車が陸軍へ引き渡され、低率初期生産(LRIP)に入ったばかりでした。ところが急転直下、今年(2025年)5月に国防総省が調達中止を発表して、関係者を驚かせます。
アメリカ陸軍がM10「ブッカー」の調達を中止した背景には、陸軍変革イニシアティブ(ATI)が影響しています。これはウクライナ戦争で判明した既存兵器の弱点を受けて、限られた予算を、新しい戦争に備えて付け替えるための改革ですが、この中でM10「ブッカー」の優先度が低下したのです。
新型AFVでありながらM10「ブッカー」が問題視されたのは、その重量のためでした。約42tと、自衛隊の10式戦車(44t)にも匹敵する同車を空輸するには、C-17といった大型輸送機に頼るしかありません。これでは期待されていた即応性が十分に発揮できませんし、M1A2「エイブラムス」主力戦車でも大差ないだろうという批判が出ていました。
さらにM10「ブッカー」の105mm砲は、現代の重装甲な戦車に対しては威力不足であり、かつ他の戦車と同様、敵の無人機や長射程火砲に晒されやすいこと。また陸軍では最大504両の調達を計画していましたが、この数は陸軍が運用する他の軍用車両と比べると圧倒的に少ないものです。加えて、陸軍以外は採用していないため、全体の生産数も少ないことから補給や維持コストも高くなります。
陸軍はこのような戦略的視点と実務的な不都合を踏まえて、M10「ブッカー」を量産するより、その予算を将来の戦争に備えた別の装備開発に振り分けたほうがよいと判断しました。
とはいえ、陸軍にはすでに約80両のM10「ブッカー」が納入済みです。
M10「ブッカー」の調達中止が決定してから約1か月後の6月中旬、「アメリカ海兵隊がM10ブッカーを採用?」のような情報を、主にインターネットで目にするようになりました。
アメリカ陸軍のMRZR。海兵隊もULTV(超軽量戦術車両)の名称で導入している(画像:アメリカ陸軍)。
筆者(宮永忠将:戦史研究家/軍事系Youtuber)が調べた限り、その報道の初出は「TASK&PURPOSE」というアメリカ国内における退役軍人向けのネットメディアでした。
そのなかで公開されていたのが、「海兵隊がM10ブッカーを採用すべき理由」というオピニオン記事です。この記事は、アメリカ海兵隊で第3軽装甲偵察大隊長を務めるジョン・J・ディック中佐と、同副大隊長のダニエル・D・フィリップスが連名で記したものでした。
ここで、陸軍に納入済みの約80両のM10戦闘車を、海兵隊で引き取るべきではという提言が行われており、その理由として以下のように記していました。
「現在、アメリカ海兵隊は、「フォース・デザイン2030」(詳細は後述)の一環としてM1A1『エイブラムス』戦車を廃止し、偵察戦力にはULTV(ULTRA-LIGHT TACTICAL VEHICLE:超軽量戦術車両)やLAV-25装輪戦闘車両を中心に再編されている。しかし、これらは防御力・火力が不十分で、無人機や近代的な歩兵戦闘車(IFV)、戦車を擁する敵に対しては生存性が低い。したがって『直接火力』が必要とされ、そこでM10戦闘車が導入できれば解決するだろう」
M10は、105mm砲を搭載するため、軽装甲車両や敵が立てこもる陣地を制圧できる強力な火力を持ち、かつULTVやLAVよりも高い防御力を備えています。一方で、重量約42tとM1「エイブラムス」戦車よりも軽量なため展開力にも優れており、なにより製造済みなので、短期間で戦力化できます。
こうして見てみると、メリットだらけというわけです。実際、陸軍の不採用兵器を海兵隊が引きとった例はあり、たとえば前出のLAV-25はそのような流れで、いまでも海兵隊が使い続けています。M10「ブッカー」は、海兵隊にとって安価に火力と防護を獲得できる魅力的な選択肢というわけです。
米議会や軍内での動きはどうなの?実際、「TASK&PURPOSE」の記事が掲載された直後、軍事系のアメリカ・メディアでは活発な意見交換が行われ、それに煽られる形で日本でも動画やSNSを通じた拡散が起こりました。

アメリカ海兵隊のLAV25装輪戦闘車(画像:アメリカ海兵隊)。
それから約3か月、海兵隊のM10「ブッカー」導入議論は、どうなっているでしょうか。結論をいえば、海兵隊においてM10導入に繋がるような動きはなく、米議会で取り上げられた記録もありません。
そもそもアメリカ海兵隊は現在、前述した「フォース・デザイン2030」の名の下に、装備体系を見直している真っ最中です。これは中国沿岸部における火力投射能力の向上を見据えて、アメリカ海兵隊に期待されていた従来型の上陸戦の比重を下げるというものです。
これに伴い、戦車部隊や重砲兵部隊を廃止ないし大幅削減する一方で、分散・機動的で、小回りの利く軽量部隊を多数新設し、海洋縦深に即応展開できる態勢への移行を目指しています。ただ「フォース・デザイン2030」自体、2020年に策定されたばかりで現在は、折り返し地点を過ぎたばかりの状況です。
もちろん、これほど大がかりな軍の変革となれば、割を食う組織も出てきます。
軽装甲偵察大隊は、まっさきに最前線で危険な任務に投入される役割である一方、1980年代に採用され、老朽化したLAV-25の後継となる次世代型先進偵察車(ARV)の火力不足に悩まされている当事者でもあります。
これらを鑑みると、「フォース・デザイン2030」では拭いきれない現場部隊の不安と不満が、M10「ブッカー」導入提言の下地にあると見て良さそうです。
M10「ブッカー」については、州兵への移管や、敵役(OPFOR)として演習場などのトレーニングエリアで構内専用車として使用する案が出ています。また、それ以外にも対外有償軍事援助(FMS)として台湾やウクライナに売却・供与する案なども、各種メディアで提唱されています。
中止になったとはいえ、正式採用までこぎ着け、80両も製造されてしまったM10「ブッカー」の処遇と決着までには、まだひと波乱あるかもしれません。