敦賀駅と東舞鶴駅を東西に結ぶJR小浜線は、地域住民の通勤・通学路線であるとともに、観光路線としても使われています。この様々な表情を持つ小浜線に今回乗りました。
福井県小浜市を通る鉄道路線の歴史は古く、早くも1895(明治28)年には敦賀と舞鶴を結ぶ「敦鶴(とんかく)線」が計画されていました。
京阪神を通ることなく、北陸から軍港の舞鶴を経て山陰に至るルートは日露戦争後も重要視され、1917(大正6)年、小浜線の最初の区間として敦賀~十村間が開通。翌年に小浜まで延伸し、1922(大正11)年までに新舞鶴(現・東舞鶴)まで全通しました。
沿線には、三方五湖や蘇洞門、明通寺、若狭彦神社などの景勝地や社寺も多くあり、かつては福井、金沢、名古屋、出雲市などから直通する急行列車も複数運行されていました。
NHKの連続テレビ小説『ちりとてちん』や、大河ドラマ『江~姫たちの戦国~』に縁がある地域であることから、放映期間中に臨時快速列車が運行されたこともあります。
2003(平成15)年の電化後も、京都丹後鉄道の観光列車「丹後くろまつ」が乗り入れたことがありますが、基本的に現在の定期列車は普通列車だけ。敦賀~小浜間が12往復、小浜~東舞鶴間が11往復です。
この小浜線に、筆者(安藤昌季:乗りものライター)は水曜の朝、東舞鶴から乗車しました。
かつての座席不足にも納得東舞鶴6時29分発・敦賀行きの普通列車に乗車します。東舞鶴は1面2線の高架駅で、近代的な外観。軍港の街だけあり、駅舎内にはゲーム『艦隊これくしょん』のキャラクターパネルも置かれていました。
小浜線の普通列車は、全て125系電車で運行されています。
ちなみに座席は、登場時は1+2列の配列でしたが、座席数が少ないと問題になり、地元負担で2+2列に改造されました。車内中央部も、側扉の増設を考慮して座席のない「ゆとりスペース」でしたが座席が追加されました。これにより「ゆとりスペース」の跡地には窓がない座席もありますが、座席定員は31人から46人に増加。
このため、旧「ゆとりスペース」の座席は、窓がない場所があります。一部ロングシートで転換式クロスシートが装備されていますが、興味深いのは転換しない車端部は、新快速用223系と同じ座席なのですが、転換部はクッションが異なることです。
恐らく、コストダウンの観点なのだと思いますが、他に類を見ない座席と感じます。
乗車した列車は2両編成でしたが、連結部分の貫通路はつながっていませんでした。
始発時点で乗車は3人。車窓は建物が整然と並んでいる街並みが印象的です。青郷で野球少年3人が乗車。
行き違いが可能な駅の若狭高浜で2人下車、6人乗車しました。早朝ですが、人の動きがあります。若狭高浜を出ると列車の速度が上がり、揺れが大きくなります。人家が増えてきました。若狭和田で4人乗車。ここも駅舎がオシャレです。
列車から海が見え始めると若狭本郷です。蒸気機関車「弁慶」が保存されています。1人下車、10人乗車。街並みが美しく感じられます。
市街地に入り、7時22分に小浜到着。30人が下車して、26人が乗車します。筆者も下車して周辺を散策。駅近くの小浜市中央公園には、C58形蒸気機関車171号機が保存されていました。
小浜9時34分発の普通列車に乗車します。38人が乗車しており、なかなかの盛況です。新幹線駅が計画されている田園地帯を眺めつつ、9時39分に東小浜着。10人乗車します。その後、上中で2人下車、大鳥羽で5人乗車、藤井で1人下車、三方で5人乗車と、各駅で動きがあり、座席はほとんど埋まりました。
気山で1人下車し、2人乗車。10時16分に美浜着。
列車内は全線を通して賑わっており、座席不足が問題になったことも納得。北陸新幹線の延伸で並行在来線になるかもしれない小浜線ですが、沿線の重要な足としての使命を果たしているように感じられました。
※内容を一部修正しました(5日12時50分)。

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