11月12日は、国産初のジェット輸送機であるC-1が初飛行した日です。
初飛行したのは半世紀以上前の1973(昭和48)年で、当時の技術研究本部(現在の防衛装備庁)および日本航空機製造が開発し、生産は川崎重工業が主契約企業として担当しました。
C-1は、退役するまでは入間基地で毎年開催されている「入間航空祭」で飛行展示を行っており、時折見せる戦闘機のようなアクロバティックな飛び方は航空祭の名物にもなっていました。
もともと、輸送機のような大型機は主翼面積が広く、デモンストレーションでは貨物を搭載しない空荷状態で飛行するため、その飛び方は派手になります。民間旅客機でもボーイング社やエアバス社の機体は、海外の展示会などで顧客へのアピールのために急激な上昇や旋回を繰り返して行い会場を沸かせます。しかし、C-1の場合は、それらを凌駕するような旋回飛行や、機体を大きく傾けた旋回飛行も行っていました。
C-1は軍用機であり、通常の旅客機にはない特別な設計が盛り込まれていました。そのひとつがSTOL(短距離離着陸)性能です。日本は国土が狭く滑走路が短い空港が多いため、そういった場所での運用を考慮し、短距離でも発着できる性能が盛り込まれました。その結果、最短離陸距離460m、最短着陸滑走距離600mという驚異的なSTOL性を獲得しています。
このSTOL性を実現したことで、結果的に低速での揚力維持・旋回性能に優れる構造となりました。
また、操縦装置は現在の航空機では当たり前となったコンピューター制御のフライ・バイ・ワイヤではなく、操縦桿の動きで可動翼が動くメカニカル操縦系統でした。これにより、パイロットはその操縦桿の反応(舵感)で機体の動きを感じ取ることができたともいわれています。
これに、半世紀以上もの長い運用によって培われた操縦ノウハウが組み合わさって、あのような派手な飛行展示が安全に実施することができたのです。
C-1は名機だったのか?完全退役したC-1ですが、純粋な軍用輸送機としての評価は賛否両論といえるでしょう。一番の問題は、その搭載量の少なさと航続距離の短さで、海外への輸送任務はおろか、最大積載量では関東の入間基地から沖縄の那覇基地までも、安全に飛ぶことができませんでした。
2024年の入間基地航空祭で編隊飛行するC-1輸送機(布留川 司撮影)。
これはC-1の開発が始まった当時、外国まで飛ぶ輸送機の開発が政治状況的に難しかったことと、沖縄がまだアメリカの施政権下(占領下)にあり、日本に返還されていなかったことなどが理由です。結果として完成した輸送機は、日本の状況に特化した空自専用の機体となってしまいました。
ただ、一方で現場のパイロットや整備員からの評価は、必ずしも悪いものではなかったようです。筆者(布留川 司:ルポライター・カメラマン)が、とある航空自衛隊のパイロットから聞いたのは、「開発当時に技術的に可能なことを上手くまとめ上げた機体」という、きわめて現実的なものでした。
今月に開催されたC-1退役後に始めた開催された入間航空祭では、弟分であるC-2輸送機が往年のC-1を連想させる飛行展示を行い、詰めかけた26万人の来場者を沸かせました。
その傍らで、退役したC-1は会場に隅にひっそり置かれており、筆者の目にはリタイヤしたベテランが、往時を偲んで静かに見守っていたように映りました。

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