断面が三角形の三弦橋

 我が国の鉄道橋は、建設費用や設置場所にあわせて様々な形状や構造が採用されており、中には特殊なものも散見されます。それらを上空から観察すると、どんな姿が見られるのでしょうか。

橋梁の構造は専門的な文献があるので割愛し、過去に空撮した写真から橋梁の構造美を振り返ります。

【貴重!】これがダム湖に眠る三弦橋と重構桁です(写真)

 北海道夕張市に、特徴的な橋梁がありました。夕張川を遡るとシューパロダムがそびえ、人造湖のシューパロ湖が満々と水をたたえています。この湖には大夕張の街並みや数々の鉄道遺構が沈んでいます。

 大夕張はかつて炭鉱や林業などで栄え、大夕張鉄道、下夕張森林鉄道といった鉄道がありました。1964(昭和39)年に大夕張ダムを建設してシューパロ湖が誕生しましたが、治水と農業用水の確保などを目的に巨大なシューパロダムが建設され、大夕張ダムの堰堤も沈めるかたちで2015(平成27)年に竣工しました。

 2013(平成25)年、沈みゆく大夕張の一帯を空撮しました。水没する遺構のなかには、下夕張森林鉄道のシンボルだった第1号橋梁の三弦橋と旧陸軍鉄道連隊の重構桁がありました。

 三弦橋はトラス橋の上部にある「上弦材」が1本、下部にある「下弦材」が2本の構造で、トラスの断面を見ると三角形をしています。水道管や人道橋に使用されますが、鉄道橋での使用は極めて稀であり、国内ではこの三弦橋が唯一の例でした。

 上弦材が1本少ないためにコストと重量が抑えられる反面、三角形のため断面は狭くなります。下夕張森林鉄道の三弦橋は大夕張ダム建設によって従来の軌道が沈むため、補償工事として1958(昭和33)年に架橋されたもので、コスト削減と重量低減のほか、奥地には北海道の秀峰夕張岳を配する地域ゆえ、自然景観の保護という観点から周囲と調和するこの構造にしたとのことです。

 7連の三角錐をしたトラスは湖の中となり、渇水時は湖面から顔を出すそうです。北海道でダム湖に沈んだ鉄道橋というと旧国鉄士幌線のタウシュベツ川橋梁が有名ですが、今回撮影した三弦橋も今後10年、20年と経過していくと第二のタウシュベツ川橋梁となるのでしょうか。それ以前に三弦橋を支えるコンクリート橋脚の劣化が気になりますが……。

湖畔に眠る珍しい「重構桁」

 続いても下夕張森林鉄道の遺構です。三弦橋でシューパロ湖対岸へ渡った線路は、湖畔沿いに第2号~第6号と橋梁が残されていました。中には珍しい「重構桁」と呼ばれるものがありました。

 重構桁とは聞きなれない橋です。これは旧陸軍の組み立て式トラス橋で、作戦地における架橋や撤去の際に使用された仮橋です。中国大陸や東南アジアといった各地の戦場で、例えば永久橋を爆撃後に応急として重構桁を架橋するといった形で使用されてきました。移動しやすいようにトラスは小さく、現地の状況に応じてピン結合で組み立てて使用されました。

 重構桁が下夕張森林鉄道に使用されたのは、終戦直後の木橋から鉄橋への架け替えによります。戦前より使用してきた木橋が老朽化や災害で落橋し、1948(昭和23)年から鉄橋への架け替えが促進されました。

しかし終戦直後の物資が枯渇していた時代では鋼材の手配が困難で、払い下げ品をかき集めたものや、橋梁会社の在庫から調達したものに重構桁がありました。(参考:『鉄道廃線跡を歩くV』、『土木史研究』第22号2002年5月)

 最後は、本州と北海道を結んだ青函連絡です。青函トンネルの前後にある高架橋の橋梁ではなく“船”です。船に橋といえば桟橋ですね。青函連絡船で車両航送する際、船とドッキングする線路の桟橋です。これも立派な橋であり、可動橋の一種です。

 連絡船と陸を結ぶ線路部分は、潮の満ち引きによって海面が変化するため、上下に調整可能な可動橋が設置されました。船尾部分と橋梁の間に門型のクレーン(主塔)が備わり、上部に操作室があって、干満によって船尾に備わる線路と橋梁の線路の高さを合わせていました。

 連絡船の可動橋は、青森駅に隣接する青森桟橋の「青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸」が唯一の残存となります。同地での青函連絡船の車両航送は1925(大正14)年に開始されました。現存する門型の主塔は同時期に設置されたもので、桁は戦後に速度向上のため改良されました。

 八甲田丸の内部では可動橋模型が展示されているので、この空撮写真を見た後に八甲田丸へ訪れると、より納得することでしょう。

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