3年8か月にわたる太平洋戦争、その最後の8か月に行われた本土空襲で終戦時の日本は荒廃していました。鉄道も空襲の被害だけでなく、設備・車両の更新や修繕を後回しにした酷使で輸送力は大きく低下していました。
当時の日本は鉄道以外に陸上交通はなく、多数の船舶が撃沈された海運も機能していなかったため、鉄道は休む間もなく走り続けるしかありません。その頃の鉄道といえば、都心ですらドアや座席がない車両に鈴なりで乗車している有様で、脱線、衝突、火災や転落が頻発する「殺人電車」でした。
国有鉄道は新規工事を中止し、修繕能力の強化に注力。車両の復旧と並行して1946(昭和21)年度下期からようやく新車の導入が本格化し、1948(昭和23)年に入ると座席、蛍光灯の照明、自動ドアを整備した「復興模範電車」が登場し、徐々に正常化していきました。
そんな時代の変わり目、国有鉄道は「復旧」の次を模索し始めます。東京都の人口は終戦から2年で倍増し、ラッシュ時ピーク混雑率は300%を突破。さらなる増加が予想されることから戦前以上に「復興」するための工事が必要になったのです。
国有鉄道がどのような問題意識と案を持っていたのか、1948(昭和23)年頃の業界誌『交通技術』などの記事を参考に見ていきましょう。
特に急ぐ必要があったのは都心の通勤電車の中心、山手線と京浜東北線です。山手線は1925(大正14)年、京浜東北線は1932(昭和7)年から現在と同じ運行形態をとっていますが、当時は田端~田町間の線路は複線分しかなく、両路線は同じ線路を交互に走っていました。
同区間は最短2分30秒間隔の運転のため、山手線、京浜東北線ともに最短5分間隔が限度で、増発の妨げとなっていました。両路線の分離は戦前に構想され、用地は取得済みだったため、これを早急に実現して輸送力を倍増させようというのです。
1949(昭和24)年に発足した日本国有鉄道は同年末から、将来の分離を見込んで東京、有楽町、新橋などのホーム増設工事に着手し、1953(昭和28)年に線路増設と分離を正式決定。1956(昭和31)年11月に分離運転を開始しました。
両路線の共用問題はダイヤだけではありません。1948(昭和23)年当時、山手線は6両編成、京浜東北線は8両編成だったので、定員の少ない山手線車両は乗降に時間がかかり、京浜東北線のダイヤにも影響したのです。そこでホームを延伸し、1949(昭和24)年までに7両化しますが、8両化は1962(昭和37)年まで待たねばなりませんでした。
東中野から貨物線分岐の計画も沿線で住宅建設が加速する中央線も輸送力不足に悩んでいました。当時の複々線区間は御茶ノ水~中野間で、各駅停車は中野始発でした。これを三鷹まで延伸し、車両も6両編成から8両編成に増強したいと考えていました。
しかし実際には、中野~三鷹間複々線化の着工は1960(昭和35)年までずれ込みました。車両こそ10両まで増強されたものの輸送力不足は顕著で、1960(昭和35)年から時差通勤・通学の呼びかけを開始したものの、1961(昭和36)年1月には連日、中央線のダイヤがマヒ状態に陥る事態となりました。
中央線と直通運転を行う総武線についても、両国~市川間を複々線化し、電車と蒸気機関車牽引(けんいん)の中・長距離列車を分離、また千葉~蘇我間を複線化し、各駅停車を蘇我まで延長する構想でした。しかしこちらも実際の計画決定は1965(昭和40)年、開業は1972(昭和47)年とずいぶん時間がかかってしまいました。
その他、興味深いのは、列車・貨物線(快速線)の旅客輸送を強化するため、飯田町(1999年廃止)と新宿の貨物駅を廃止し、東中野から陸軍施設のあった戸山ケ原(新大久保・高田馬場付近)へ貨物線を新設し、貨物ターミナルを新設するという構想もありました。
復興計画の対象は蒸気機関車で運行していた中・長距離列車にも及びました。東海道線(東京~沼津)は戦前から電化されていたものの電気機関車の客車列車だったので、これを電車化する計画が立てられ、1950(昭和25)年に「80系」いわゆる湘南電車が導入されます。
続いて東北線、高崎線、常磐線を含む全国主要路線の電化と電車運転が計画され、1950~1960年代前半にかけて段階的に電化、電車化が実現しました。このように初期から電化と電車化がセットで構想されていたことが分かります。
また、電車化で運転が柔軟化することから、東海道線~東北・高崎線、横須賀~常磐線の直通運転が構想されました。前述の山手線・京浜東北線分離工事に関連して1950年代に部分的な直通運転が実施されましたが、本格的な直通運転は70年近い時を経て、2015(平成27)年に「上野東京ライン」として実現しました。
この他、上野駅の負担軽減を目的に、高崎・上越・信越線旅客列車のターミナルを池袋に移し、地下鉄4号線(丸ノ内線)建設とあわせて池袋駅を大改装する計画があったようです。
様々な構想を紹介してきましたが、いつの時代も問題意識は共通しており、構想の多くは時間をかけて、あるいは形を変えて実現したことが分かります。一つの計画を動き出しから実現まで担当する職員はおらず、実現する頃には定年済みということも珍しくありません。それでも鉄道マンはバトンをつなぐように、地道に改良工事を前に進めていくのです。

![[のどぬ~るぬれマスク] 【Amazon.co.jp限定】 【まとめ買い】 昼夜兼用立体 ハーブ&ユーカリの香り 3セット×4個(おまけ付き)](https://m.media-amazon.com/images/I/51Q-T7qhTGL._SL500_.jpg)
![[のどぬ~るぬれマスク] 【Amazon.co.jp限定】 【まとめ買い】 就寝立体タイプ 無香料 3セット×4個(おまけ付き)](https://m.media-amazon.com/images/I/51pV-1+GeGL._SL500_.jpg)







![NHKラジオ ラジオビジネス英語 2024年 9月号 [雑誌] (NHKテキスト)](https://m.media-amazon.com/images/I/51Ku32P5LhL._SL500_.jpg)
