いまから約30年前の1996年2月24日、かつて『金曜ロードショー』(日本テレビ系)の映画解説者として人気を博した映画評論家・水野晴郎さんが、マイク・ミズノ監督として自らメガホンを取った作品『シベリア超特急』が公開されました。
【画像】「イエスかノーか」これが映画のモデルになった山下奉文中将(当時)が降伏を迫る様子です
本作はその後シリーズ化され、舞台化も実現。
はっきり申し上げれば、本作は出来が良くないどころか、確実に「出来の悪い部類」に入ります。
あえて口汚く言うならば、いわゆる“クソ映画”です。しかし、本作は凡百の「駄作」「クソ映画」と一括りにできる作品ではありません。2000年代以降、実写版『デビルマン』などこのジャンルに強烈な作品が登場したことで相対的に目立たなくなりましたが、かつては1982年公開の『幻の湖』、1996年公開の『北京原人 Who are you?』と並び、「日本三大クソ映画」「三大クソ邦画」とまで称されていました。
その中でも本作は、三作すべてを鑑賞した身からすると、眠気を誘う『北京原人 Who are you?』や、終始何が起きているのか分からない『幻の湖』とは明確に異なります。どこか魔力めいたものを持ち、理由は説明できないのに惹きつけられてしまう——いわば“神がかったクソ映画”なのです。
その特異な魅力は、ほかの二作とは違い、後年に熱狂的なファンを獲得したことからも明らかでしょう。
まず本作を楽しむために大切なのは、細部に目をつぶることです。とにかく粗が目につきます。しかし、全体の展開として捉えれば、飽きさせない構成にはなっており、大枠では成立しています。
物語の舞台は第二次世界大戦まっただ中の1941年。独ソ戦開始直前、ソ連領から満州国へ向かうシベリア超特急の車内です。一等車両で次々と殺人事件が発生し、それを水野氏演じる山下奉文陸軍大将が解決していくという筋立てになっています。推理描写に関しては、列車という限られた空間をうまく活用しています。
ただし、この“うまく活用できている”理由は明確です。全体としてアルフレッド・ヒチコック監督のサスペンス映画を強く参照しているからです。というより、移動型密室という設定からして、ヒッチコックの『バルカン超特急』と重なる部分が非常に多い。車内で突然人物が消える展開などは、そっくりと言っていいでしょう。
本作の公開は1996年。戦前から活躍していた監督の古典的演出を、90年代半ばにそのまま持ち込む姿勢は、ある意味で恐れ知らずであり、同時に清々しくもあります。映画に詳しくない観客にとっては、逆に一周回って斬新に映る可能性すらあるでしょう。
しかも、それらの“コテコテ演出”をほぼトレースする形で取り入れており、変に現代風へアレンジしない。
しかしそれもまた、水野氏が敬愛する偉大な監督へのリスペクトゆえの選択だったのでしょう。下手に自分流へ改変しなかったことが、結果的に独特の味わいを生んでいるのです。
棒読み演技はもはや魅力だ?さらに、本作を語るうえで必ず話題になるのが、水野さん扮する山下大将の“棒読み演技”です。これに関しては弁護の余地がないほど確かに酷いので、あらかじめご注意を……。
おそらく冒頭の「ボルシチ美味かったぞ」というセリフだけで、「あ、水野さんの演技は厳しいかも……」と確信し、あまりの棒読みに吹き出してしまう人もいるでしょう。しかし不思議なことに、しばらく観ていると、この棒読みが妙に癖になってくる。ここにも本作の“変な魔力”があります。
本作は殺人事件の犯人を推理するサスペンスですが、その形式は「安楽椅子探偵」型です。
殺人現場の発見や状況証拠集めは、佐伯大尉役の西田和昭さん、青山一等書記官役の菊池孝典さんがほぼ担当。当の山下大将はクドい登場シーンもなく、ほとんど客室から動かないまま謎を解き明かしてしまいます。
そのため、水野さんの演技が気にならない場面も意外と多い。微動だにせずポツンと座っている山下大将に、観ているうちにマスコットキャラクターのような可愛らしさすら感じてしまう錯覚に陥ります。
本作の主人公のモデルである史実の山下奉文は、シンガポール戦で英国軍のパーシバル中将に「イエスかノーか」と降伏を迫った勇猛な将軍として知られています。しかし実際は穏やかな性格だったとも伝えられ、もしかすると案外こんな雰囲気だったのでは……と妙な説得力すら生まれてくるのです。
水野さんの何とも言えない存在感は、中盤を過ぎるころには気になって仕方なくなる。ここで“ついていける”人は、すでにこの作品の術中にはまっていると言っていいでしょう。
車掌が殺害されても止まらない列車。登場人物を殺しすぎてサスペンスとしての均衡が崩れかけている展開。車内セットの質感はそれなりに良いのに、まったく走行している感じのしない列車描写……。酷い点を挙げればきりがありません。
それでも、なぜか観続けてしまう。この魔力は何なのか。
結局のところ、水野さんの映画愛、そして本作に込められた強烈なメッセージの力としか言いようがありません。
映画愛については、前述のヒッチコックや市川崑監督の作品を徹底的に研究して作られていることが画面から伝わってきます。拙い演出は多々ありますが、それでも偉大な先人たちを手本に、なんとか面白い作品を作ろうとする気概が感じられる。変に「我」を出していないのも特徴です。
むしろ、水野さんの映画作りに対する強い執念のようなものが、鑑賞者を引きつけてしまうのです
シックス・センスを超えるビックリなオチ…ある意味では正解!さて、残る“メッセージ”についてですが、それはラストに用意された二度の「どんでん返し」に集約されています。水野氏が本作で監督のみならず、原作・脚本、さらには主題歌の作詞まで手がけた理由も、そこにあるのでしょう。
現在のシベリア鉄道。ウラジオストク駅(画像:写真AC)
2008年に亡くなった水野さんの遺志を尊重し、詳細なネタバレは避けます。ただひとつ言えるのは、その展開があまりにも掟破りだということ。良い方向に転ぶか、悪い方向に転ぶかは観る人次第ですが、とにかく「えええええ!? はあああああ!?」と困惑することだけは間違いありません。
そしてすべてを観終えたとき、多くの人は気づくはずです。この映画のジャンルは、実はサスペンスではなかったのではないか、と。
かつて発売されたDVDには、本編の前後に水野さん自身が“金曜ロードショー風”に自作を解説する特典映像が収録されていました。その中で水野さんは、「『シックス・センス』のオチに驚かなかった。なぜなら『シベリア超特急』を観ていたからだ、というファンの声をもらった」と語っています。
ある意味、それは真実かもしれません。
とにかく本作は、出来の悪さも含めて一見の価値がある作品です。そんじょそこらの“クソ映画”や“駄作映画”とは、明らかに格が違う。三十年を経てもなお、語り継がれてしまう映画なのです。

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