戦車は最初、歩兵の支援用として生まれた

 来年、2027年は国産戦車が誕生してちょうど一世紀です。

【砲塔後部に機銃あり】自衛隊が保有する「動く旧軍戦車」です(写真で見る)

 今から100年前の1927年、旧日本陸軍は初の国産戦車である「試製一号戦車」を開発しました。

同車は車体中央に主砲塔を備え、車体の前部と後部にそれぞれ機関銃装備の旋回銃塔を1基ずつ備えた、いわゆる多砲塔戦車であり、主砲塔の後ろ側に機関銃は備えられていませんでした。

 しかし、同車を改修した試製一号戦車改では、主砲塔の後方に機関銃が装備されました。以降、太平洋戦争で多用された九五式軽戦車や九七式中戦車まで含め、旧日本軍の戦車は、主砲塔の後ろ側に機関銃を装備しましたが、それはなぜだったのでしょうか。

 そもそも、戦車が実戦に投入されたのは第一次世界大戦のヨーロッパ戦線が最初です。当時、戦車は、歩兵の戦いを直接支援するために開発されました。戦車が日本にやってきたのは、第一次世界大戦の終結直後、1918年10月のことでしたが、輸入した日本陸軍も、その目的はもちろん歩兵を支援する兵器としてでした。

 その後、陸軍は冒頭に記した試製一号戦車をはじめとしてさまざまな戦車の開発を進めましたが、太平洋戦争が始まるまで「歩兵支援」という基本コンセプトが変わることなく連綿と生き続けました。

日本の戦車開発技術の限界も理由のひとつ

 なお、当時の日本には、まだ車載砲架に同軸機関銃を取り付ける技術はなく、また同軸機関銃の概念の原点となる、砲身の隣に機関銃を配するという発想にも至ることはありませんでした。

旧軍戦車の独特すぎる配置 なぜ砲塔の「後ろ向き」に機関銃が?...の画像はこちら >>

主砲を後ろに回した状態の九七式中戦車(新砲塔)。九七式車載重機関銃のマウントが車体前方側に来ている(画像:オーストラリア・クイーンズランド州公文書館)。

 代わりに、砲塔は360度全周旋回するので、砲とは逆の位置に機関銃を装備して、砲ほど大威力が必要ではなく、逆に機関銃の連射能力で掃射して排除しなければならない、敵の人馬などを駆逐する場合は、機関銃の装備側を前面にして進撃する。逆に、もし敵の堅固な陣地や機関銃巣、砲座などに進撃を阻まれたら、今度は砲塔を180度回して、砲を前面に据え、その火力で撃破していくようにしたのです。

 こうすれば、それぞれの目標に適した火器の使い分けができ、最適の効果が得られるだけでなく、弾薬の節約にもなると考えられたのです。なので日本陸軍では、敵の状況によっては砲塔を後ろに回して、車体側の機関銃に加えて砲塔後部機関銃を前向きに使って進撃や戦闘をすることも、運用方法のひとつとされていました。

 しかしイギリスやドイツといった戦車先進国では、前面に向いている車体機関銃に加えて、砲塔の主砲の傍らに、同軸で機関銃を装備するのが主流でした。これならば、主砲と機関銃の切り替えが瞬時に可能で、しかも砲手が機関銃の射手も兼ねられて便利です。

 ところが日本戦車の場合、砲塔の後ろの機関銃を撃つのは装填手や車長の役割であったため、機関銃使用時には、彼らの「本来の役割」がおろそかになってしまう心配がありました。そのうえ、砲架と連動する同軸機関銃託架や、敵弾命中時には弱点となりやすい防盾の同軸機関銃開口部の構造と設計などは、前述したように当時の日本の技術ではハードルが高いのも事実でした。

 このような事情などから、日本戦車は戦車砲と機関銃を同軸で砲塔前面に装備することはなく、砲塔の前後にそれぞれを据えて、目標に応じて使い分けることにしたのです。結果、砲塔後部に備えた機関銃というのは、日本戦車の特徴ともいえる、独特な機構になったといえるでしょう。

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