運転士だけじゃない? 団子鼻の「密室」に入っていた人たち

 1964(昭和39)年の東海道新幹線開業とともにデビューした0系新幹線は、車両前面の「団子鼻」と呼ばれたデザインで知られます。運転室はその鼻の上の高い位置にありました。

では、あの「鼻のなか」は、どうなっていたのでしょうか。

【画像】「団子鼻」のなかはこうなっていた!こう使われていた!(マンガで読む)

 あの丸い鼻の内部は決して単なる空洞ではなく故障時に他の列車とつなぐための非常用連結器があったほか、「運転機器室」、通称「ボンネット室」と呼ばれる極めて重要な空間が広がっていました。高い位置にある運転席と助手席の間、足元付近に設けられた小さな扉を開けて、潜り込むように入る窓のない小部屋だったのです。

 ここには、新幹線の安全を根底から支える機器が所狭しと詰め込まれていました。

 当時、210km/hという未知の速度域を安全に走るため、自動で速度を制御する巨大な電子機器群であるATC(自動列車制御装置)をはじめ、運転室用の空調装置などが格納されていました。ここはまさに、当時の日本の最新技術が結集した新幹線の“頭脳”とも呼べる機械室だったのです。

 そこで、この小さな部屋について、国鉄時代に東海道新幹線の運転士を務めた作家、にわあつしさんにお話を伺いました。

「ボンネット室は床から天井までの高さが150センチくらいかな、私はかがまないと歩けないくらいの高さ。室内にはATCの配電盤を照らすために蛍光灯が1本あって、常に点灯していました。室内には折りたたみのパイプ椅子が置いてあって、国鉄職員が移動のためにこの部屋を利用するときに使っていました」

 ボンネット室に乗ってくるのは、保線や電気関係の技術者が多かったのだとか。「在来線なら車内を立って移動するのですが、移動距離も長く時間のかかる新幹線ではデッキにずっと立っているはつらい、かといって作業服で客席に座るわけにもいかないための配慮だったようです」

 さらには業務以外で乗ってくる人もいたといいます。

「旅行のために乗ってくる人もいましたよ。

当時、国鉄職員が利用できた『職務乗車証』は急行列車の自由席までは乗ることができるパスでしたが、新幹線に乗ることはできません。そこで仲間内で頼み込んだりして、内緒でボンネット室を利用する人がいたんです」

「運転士のラブロマンス」の舞台!?

 じつは、にわさん自身も、ボンネット室の“客”の一人だったとか。

0系新幹線の「鼻のナカ」何があるか知ってますか? 今だから話...の画像はこちら >>

国鉄時代に東海道新幹線の運転士だった頃のにわあつしさん。車高3975mmの0系新幹線の前で。このボンネットの中に小さな「運転機器室」があった

「静岡に住みながら東京まで出勤していたので、運転士になる前に整備士だったときには頻繁に『こだま』のボンネット室に入れてもらって帰ったりしていました。ただ、当時の国鉄は労働組合のつながりが強く、同じ労働組合同士なら融通を利かせてくれたり、ほかの労働組合員には厳しかったりと、自由に乗れる場所という感じでもなかったですね」

 また、ボンネット室のパイプ椅子が、意外なことに役立ったこともあるそうです。

「私が乗務していた昭和の0系新幹線には、まだ車内販売はもちろん、食堂車もビュッフェもありました。運転士も2人体制で東京~新大阪間を交代しながら運転していた時代です。運転中の楽しみが、車内販売の女性スタッフからのドリンクサービスでした。運転台にコーヒーやジュースを届けてくれるんです」

 そこでお礼として、ボンネット室のパイプ椅子を左右の運転席の間に置き、しばし運転台からの景色を見せてあげたりしていたのだそうで、「流れる景色が『ジェットコースターみたい!』とビックリしてくれましたね」と語ります。

 そのような運転士時代の体験を、にわさんは原作者として『世界最速の誇り! 昭和の0系新幹線物語 元運転士が語り継ぐ 最後のぽっぽや達の裏話』という電子マンガにまとめています。その第1話「運転士のラブロマンス」は、このボンネット室が舞台だそうです。

「同僚の車掌から噂で聞いたトラブルなどもまとめてマンガにしています。密室になってしまうボンネット室ですから、噂に聞くと、好きになった車内販売スタッフを連れ込んでしまう運転士もいたそうです」とのこと。

 マンガのストーリーはフィクションですが、運転士として乗務していたからこそ経験した0系新幹線の姿や、見たり聞いたりした昭和の新幹線の運転士事情を、「これからもマンガとして残していけたらと考えています」とにわさんは話します。

新幹線運転士は「最後のぽっぽや」でもあった

 電子マンガ『世界最速の誇り! 昭和の0系新幹線物語 元運転士が語り継ぐ 最後のぽっぽや達の裏話』について、にわさんは次のように話します。

「今はデジタル化が進みましたが、私が運転していた0系新幹線はまるで生き物のようなアナログな物体でした。先輩や同僚たちは、それを技術と経験で乗りこなす、誇りや強さをもった運転士の集団でした。蒸気機関車の機関士出身の先輩もいて、“最後のぽっぽや”という表現がピッタリだと思います。一方で、おおらかだった時代でもあり、“今だから話せる”できごとも多かったものです。そのような人間味にあふれ、情に厚い昭和だからこそのエピソードを盛り込みつつ、昭和のぽっぽや達の姿を、語り継いでいけるマンガになればと思っています」

 漫画の作画は、『ドカベン』で有名な故・水島新司さんの最後のお弟子さんである「ぶらいかん」さんです。すべて手描きでスクリーントーンも丁寧に切り貼りされているといいます。

※にわあつし(作家)…1951年静岡県生まれ。高校卒業後、日本国有鉄道(国鉄)に入社し、整備士などを経て東海道新幹線の運転士に。

国鉄分割民営化の直前まで務め退職。その後は鉄道と旅行を中心としたライター・写真家として活動。おもな著書に『東海道新幹線 運転席へようこそ』(新潮社)、『0系新幹線運転台日記』(天夢人)、マンガの原作に『ゼロ・ケイ』(イカロス出版)など。日本旅行作家協会会員。

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