掃海艇は本来、機雷の排除を任とする軍用艦艇で、海自の艦艇のなかではだいぶ小柄です。「FAST-Force」に指定された掃海艇「いずしま」の、北海道胆振東部地震における活動を振り返ります。
2018年9月6日未明に突如として襲い掛かった震度7の地震。北海道胆振東部を震源とした地震は、一時的に北海道全域を停電に追い込み、道民の生活を脅かしました。幸いにも多くの地域で3日以内に電力が復旧し、季節的にもまだ暖かい時期だったため、被害はそこまで大きくなりませんでした。
そうしたさなかに、函館を拠点とする海上自衛隊の1隻の船が慌しく出港の準備を整えていました。それが、第45掃海隊に所属する掃海艇「いずしま」です。
掃海艇「いずしま」(画像:海上自衛隊)。
掃海艇「いずしま」は同じ第45掃海隊に所属する掃海艇「あおしま」とコンビを組んで日々の業務に当たっていますが、北海道胆振東部地震発災時には、自衛隊の初動対処部隊である「FAST-Force」にも指定されていました。
「FAST-Force」とは、陸海空自衛隊それぞれが災害派遣に際しすぐに対処できるよう待機している部隊のことを指します。「いずしま」は今回の地震の報せを受けて、おおむね1時間以内には出港できる準備を完了していたそうです。
掃海艇「いずしま」の先任士官兼機関長の佐藤正樹1等海尉(取材時)は「乗員たちのほとんどは東日本大震災を経験しておりますので、そういった意味でも今回の地震に対する被災者支援の気持ちは非常に強いものがありました」といいます。

掃海艇「いずしま」先任士官兼機関長の佐藤正樹1等海尉(取材時)(矢作真弓撮影)。

掃海艇「いずしま」艇長の松下利彦1等海尉(取材時)(矢作真弓撮影)。

奥の3つが「いずしま」の炊飯器で手前の2つが函館基地隊から借用した炊飯器(矢作真弓撮影)。
6日の午前4時過ぎに38名の乗員全員が揃ったところで、「いずしま」は函館基地隊からの支援を受け、レトルト食品など非常用糧食860食、米など900食分の糧食、毛布100枚、マスクなどの衛生物品を搭載して、大湊地方総監の命令によって函館港を緊急出港しました。「いずしま」艇長の松下利彦1等海尉(取材時)は「乗員たちの士気は高く、深夜だったにも関らず、すぐに全員が揃いいつでも出港できる準備を整えることができました」といいます。
「函館で必要な支援物資を搭載して、6日の午前8時34分に函館を出港しました」(「いずしま」艇長 松下1尉)
普段、「いずしま」は一升炊きの炊飯器を3台積んでいますが、今回は函館基地隊からさらに2台の一升炊き炊飯器を借用し、計5台で被災者支援に臨んだそうです。
「いずしま」支援活動開始支援物資を搭載した「いずしま」の向かった先は、震源に近い苫小牧港でした。苫小牧港に入港したのは6日の15時20分頃で、港湾事務所との調整もスムーズに進み、特に支障なく接岸できたといいます。

苫小牧港に接岸した「いずしま」(矢作真弓撮影)。
苫小牧に向かった理由は、震源地に近いということと、大きな道路が走っているため、物流経路の確保が容易と考えられたからだそうです。また、甚大な被害を受けた被災地近傍の大きな港は苫小牧港しかなく、ほかに適当な場所も見当たりません。出港当時は被災地の細部の状況は不明確であったために、苫小牧港を選定したのは不幸中の幸いだったといえるでしょう。実際に現地を訪れた筆者(矢作真弓:軍事フォトライター)も、苫小牧港であれば広い駐車場もあり、被災者の送迎にも適した場所であると感じました。

「いずしま」艇内2か所の浴室いずれも開放された(矢作真弓撮影)。

洗濯機と乾燥機も無料でサービス(矢作真弓撮影)。

休憩室に準備された軽食のおにぎり(矢作真弓撮影)。
「いずしま」が行った被災者支援は、艇内の入浴施設の開放や、艇内の休憩所におけるおにぎりやお茶など軽食の提供です。ほかにも接岸した岸壁上に簡易テントを展開して、艇内から電源を引っ張り出し、携帯電話の充電サービスなども実施しました。
これらの支援は多くの被災者に利用され、開始した7日には53名に対する入浴支援と、77名に対する携帯電話などへの充電支援を行っています。また、被害の大きかったむかわ町や安平町に対して、682個のおにぎり、78枚の毛布、960個のカップめん、3450膳の割り箸、300個の単3電池を支援物資として提供しています。
翌8日には、苫小牧市内での停電が解消したため、携帯電話などへの充電希望者はいませんでしたが、24名の入浴を受け入れています。また、9日には29名の入浴を受け入れ、20リットルの給水支援も行っていました。
船からは見えないこともある司令部要員として「いずしま」に乗り込んでいた第45掃海隊司令の小林倫彦2等海佐は「いずしま」乗員たちの士気の高さを評価しつつ、「現場を見なさいと指導している」といいます。なぜならば、艦艇は陸上には上がれないからです。地震災害は往々にして内地で発生します。津波被害の場合は沿岸からもその被害の様子を見て取れますが、今回の地震は沿岸部から見るとほぼ無傷に見えていました。
「時間を作って、交代で避難所の様子を見させています。そうすることによって、直接自分たちの目で被災地の状況を見て感じるものがあると思うのです。実際に避難所などを見てきた隊員たちは、何かを感じ取ってきたのだと思います。やはり、船の上にいるだけでは、現地の状況はよく分からないのです」(第45掃海隊司令 小林2佐)

「いずしま」艇内2か所ある浴室のひとつ(矢作真弓撮影)。
掃海艇は海上自衛隊のなかでも小さい艦艇に分類されます。小さくても1隻で生活に必要な設備を備える艦艇は、被災地においてもその能力を発揮して、多くの被災者を支援することができます。また、小型であるが故に、制限を受けることなく様々な港に入港することもできます。

浴室にはシャワーも設置されている(矢作真弓撮影)。

艇内の通路の様子。ここからお風呂や休憩所に向かう(矢作真弓撮影)。

被災者支援用に準備された米袋(矢作真弓撮影)。
発災直後から数日間に渡って多くの被災者支援を行っていた「いずしま」は9月13日、隣へ入港してきた民間チャーター船「はくおう」に被災者支援任務を引き継ぎました。