東京メトロ銀座線は全線開業後、直通運転がしばらく行われていませんでした。1本の線路でつながったのに、なぜ直通しなかったのでしょうか。
東京メトロ銀座線の新橋駅(東京都港区)に、いまは使われていない「幻のホーム」と呼ばれる設備があります。場所は現在のホームの虎ノ門寄り、8番出口に向かう通路の壁の向こう。一般の人は利用することも見ることもできません。
新橋駅の虎ノ門寄りにある「幻のホーム」(2015年3月、草町義和撮影)。
このホームが「幻のホーム」と呼ばれるようになったのは、銀座線がふたつの私鉄によって建設され、全線開業したときに直通運転を行わなかった理由と深い関わりがあります。
浅草~新橋間を建設したのは東京地下鉄道です。1927(昭和2)年に日本初の地下鉄として浅草~上野間が開業し、1934(昭和9)年までに浅草~新橋間が完成しました。
これに対して新橋~渋谷間を建設したのは、東京高速鉄道です。まず1938(昭和13)年に渋谷~虎ノ門間が開業し、いまからちょうど80年前の1939(昭和14)年1月15日、虎ノ門駅から新橋駅まで延伸。こうして東京地下鉄道と東京高速鉄道は新橋駅で接続し、浅草~新橋~渋谷間が全線開業したのです。
東京地下鉄道と東京高速鉄道は、浅草~新橋~渋谷間の全線開業にあわせて直通運転を開始する計画を立てていました。しかし、両社の線路は東海道線の高架橋の真下でつなげる計画だったため、高架橋の基礎がある接続地点の工事が難航。
そこで東京高速鉄道は急場をしのぐため、接続地点の手前にホームを設置。当面のあいだ、新橋駅を通過する客には新橋駅で乗り換えてもらうことにし、直通運転の開始を後回しにしました。

新橋駅付近の線路とホームの配置(乗りものニュース編集部作成)。
ただし、このホーム自体は工事の難航を受けて急きょ建設されたものではありません。将来の増発を見越し、着工当初から計画されていた折り返し用の設備でした。これを前倒しで整備することにより、急場をしのいだのです。
これにより全線開業時の新橋駅は、東海道線を境にして東側(浅草寄り)の東京地下鉄道ホームと西側(渋谷寄り)の東京高速鉄道ホームに分かれていました。新橋駅を通過する客も新橋駅で下車し、いったん地上に出てからもうひとつの新橋駅に向かい、乗り換えなければならなかったのです。
その後は接続地点の工事が進み、1939(昭和9)年9月16日から直通運転が始まりました。新橋駅は東京地下鉄道のホームを使うことになり、東京高速鉄道のホームはわずか8か月間で使用を中止。将来の増発計画に備えて「眠り」につきました。
それから2年後の1941(昭和16)年、東京地下鉄道と東京高速鉄道は帝都高速度交通営団(営団地下鉄、現在の東京メトロ)に統合され、浅草~新橋~渋谷間は名実ともにひとつの路線になりました。しかし、東京高速鉄道の新橋駅ホームと折り返し設備は計画の変更で使われないことになり、「幻のホーム」と化したのです。

「幻のホーム」は業務用スペースとして使われている(2015年11月、恵 知仁撮影)。
ちなみに、「幻のホーム」は「両社の直通運転を巡る対立から、東京高速鉄道がやむなく設置した仮設ホームだった」という説もありますが、これは正しくありません。着工の時点で両社は直通運転の実施に合意しており、「幻のホーム」も先に述べた通り、将来の増発に対応した折り返し用の設備として最初から計画されていました。その証拠に「幻のホーム」は仮設の構造ではなく、通常の駅と同じように構築、装飾されています。
「幻のホーム」は営業列車こそ停車しなくなりましたが、倉庫や会議室として使われるようになり、ホームに隣接する線路も列車の留置線として現役です。ただ、業務用のため通常は非公開。一般公開イベントやテレビの取材など、限られた機会でしか見ることができません。
現在は新橋駅の大規模改良工事により資材ヤードとしても使われているため、ここ数年は一般公開イベントも行われていません。ただ、改良工事の完了後には常時一般公開できるようにすることも検討されているようです。
【地図】新橋駅「幻のホーム」はここにある

銀座線の新橋駅は東海道線の線路を境にして東側に現在のホーム、西側に東京高速鉄道の旧ホーム(幻のホーム)がある(国土地理院の地図を加工)。