東京の神楽坂では、一方通行の方向が時間によって逆転するという、珍しい交通規制が敷かれています。ある政治家が自邸から国会議事堂まで通いやすいようにしたため、という説もささやかれますが、実際のところはどうなのでしょうか。
一方通行の方向が時間によって逆転する道路が東京に存在します。一般に「神楽坂」と呼ばれる、東京メトロ東西線の神楽坂駅(東京都新宿区)付近から飯田橋駅に至る区間を中心とした、早稲田通りの一部です。
神楽坂は午前中、坂を下る方向に一方通行だが、午後は方向が逆転する(2019年6月、中島洋平撮影)。
神楽坂駅付近の矢来第二交差点から、外堀通りに接続する神楽坂下交差点(飯田橋駅前)のあいだは、0時から12時まで神楽坂を下る方向に一方通行ですが、12時から0時までは、反対に坂を上る方向へ一方通行となります。神楽坂下交差点から外堀通りを挟んで南へ、千代田区富士見の九段中等学校前交差点までのあいだも、同じ時間帯、同じ方向に一方通行が切り替わり、規制区間は合計して1km以上にわたります。なお、外堀通りを挟んで神楽坂側は牛込警察署、富士見側は麹町警察署の管轄です。規制の理由を牛込署に聞きました。
――なぜ一方通行の方向が時間により変化するのでしょうか?
午前は都心方向へ向かう車両が多く、午後は逆になることから実施しています。当署では1961(昭和36)年5月から始めました。
――規制が切り替わる時間帯に、相互の方向へ走るクルマが正面衝突するような危険はないのでしょうか?
神楽坂区間の入口と出口など、主要な箇所に大型の内照式標識(内側から光る標識)を設置し、視認性を高めています。また、昼間に方向が切り替わる12時から13時までのあいだ(月~土。日曜・休日は区間と時間が拡大する)は、神楽坂(神楽坂上交差点~神楽坂下交差点)を歩行者専用道路としてクルマを通れないようにしているほか、夜は各所で標識の切り替えタイミングをずらし、相互通行にならないよう配意しています。
この交通規制が始まったのは、ある政治家が自邸から国会議事堂まで通いやすいようにしたため、という噂もまことしやかにささやかています。
その政治家とは、数々の道路や新幹線網などの整備を推進した田中角栄元首相です。文京区目白台にあった自邸(一部は現・文京区立目白台運動公園)から国会議事堂までのルートを考えると、午前は神楽坂を下る、午後は上るという規制は、確かに都合がよいかもしれません。
牛込署にも、この件について問い合わせましたが、あくまで交通の流れに応じたものだといいます。なお、同署で規制を始めた1961(昭和36)年当時、田中角栄元首相はまだ自民党の政務調査会長でした。首相の座に上り詰めたのは1972(昭和47)年のことです。
新宿区立中央図書館にも問い合わせたところ、かつて発行されていた神楽坂のタウン誌『神楽坂まちの手帖』7号と、郷土史家の渡辺功一さんによる『神楽坂がまるごとわかる本』(いずれもけやき舎刊)に、規制が始まったいきさつが記載されているといいます。おおよそ、次のような経緯だったようです。
もともと、神楽坂は現在よりも車道が広く、対面通行でした。歩道が狭かったことから、安心して歩けるようこれを拡幅し、そのぶん車道が狭くなったため、まず下りの一方通行になります。しかし、坂の途中の商店にクルマが突っ込む事故が起こったため、今度は上りの一方通行にしたところ、飯田橋駅前の五差路や、それに交わる大久保通りなどが渋滞するように。そこで現在のような規制が始まったといいます。

タクシーが多く走る夜の神楽坂。午後は坂を上る方向に一方通行となる(2019年3月、中島洋平撮影)。
いまでこそ、外堀通りや目白通り、大久保通りなどがこの地域の主要な道路ですが、これらにはかつて路面電車が走っていました。自家用車が普及した昭和30年代、路面電車は全国的に渋滞の原因となっていったなかで、この神楽坂ルートはクルマで移動する人にとって重宝されたかもしれません。いまでも、特に夜は多くのタクシーがこのルートを走り抜けていきます。
※一部修正しました(7月9日17時40分)