約70年におよぶF1の歴史には数多のチームがその名を刻みますが、全チームのマシンの姿をコロッと変えてしまうような、エポックメイキングな発明をなしたチームは限られます。そのひとつである「ティレル」と6輪車「P34」を振り返ります。

F1の歴史に刻まれる唯一無二のクルマ

「ティレル」あるいは「タイレル(たいれる)」の「6輪車」といえば、F1約70年の歴史のなかでも、最も広く知られたマシンの1台でしょう。2019年現在、その現存する実車のうちの1台が、静岡市のタミヤ本社に展示されています。

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タミヤ本社ギャラリーに展示されているティレルの「6輪車」、P34(2019年5月9日、乗りものニュース編集部撮影)。

「F1(フォーミュラーワン)世界選手権」は、FIA(国際自動車連盟)が主催する自動車レースで、1950(昭和25)年にイギリスのシルバーストーンサーキットにて初めて開催されました。

 その長い歴史においては、いくつもの革新的なアイデア、挑戦的な技術が投入され、自動車産業の発展、技術向上に大きく寄与してきました。市販車に採用された例としては、たとえばトヨタにおいて「おさかなちゃん」と社内で非公式に呼ばれている「エアロスタビライジングフィン」という突起のようなパーツがありますが、これは水中を泳ぐのが一番速いカジキマグロにヒントを得たもので、最初はF1の空力パーツとして開発されたそうです。

 とはいえそうした技術の全てが、市販車にフィードバックされるわけではありません。その最たるもののひとつが、冒頭で触れた「6輪車」、ティレルP34というマシンでしょう。文字通り6つの車輪で走るクルマで、前輪に特注の小径タイヤを4本履きます。軍用車両や、まれに市販車にも6輪車は見られますが、ティレルP34と技術的に直接つながるものではありません。

 もちろんF1史上、公式レースに投入された唯一の6輪車です。このような、常識にとらわれない挑戦を実行できた「ティレル」とは、そもそもどのようなチームだったのでしょうか。

技術革新をいくつも起こした「ティレル」というチーム

「ティレル」は、自らもF3レーサーとして活動し、「アンクル・ケン(ケンおじさん)」の愛称でも知られるケン・ティレルが創設した、イギリスを拠点とするレースチームで、1970(昭和45)年から1998(平成10)年までF1に参戦していました。参戦間もない70年代前半に、ジャッキー・スチュワートのドライブで2度のドライバーズタイトル(年間チャンピオン)と1度のコンストラクターズタイトル(チーム成績年間優勝)を獲得し、その後も浮沈の波はあったものの、上位を狙える中堅どころといった、「老舗」「名門」との呼び声にふさわしいチームです。90年代には中嶋 悟や片山右京といった日本人ドライバーが在籍したほか、ホンダやヤマハがエンジンを供給したり、日本たばこ産業(JT)など日本企業数社がスポンサーを務めたりするなど、日本との縁も深いものでした。

空前絶後の6輪車! F1の光景を何度も変えたチーム「ティレル」と「P34」を振り返る

ティレルP34の前輪タイヤはグッドイヤーによる特注品で、前から見るとフロントウィングに隠れるサイズ(2019年5月9日、乗りものニュース編集部撮影)。

 そして特筆すべきは、F1界にいくつかの技術的革新をもたらしたチームでもあるという点です。そのひとつは、車体先端のノーズ部分を高く持ち上げる形状「ハイノーズ」の発明で、1990(平成2)年に投入されたモデル「ティレル019」にて初めて採用されました。以降、ほかのチームも次々と導入し、2019年現在に至るまでF1マシンはほぼすべて、このハイノーズ型のデザインが採用されています。

 また、サイドポンツーン(車体両脇側面のこと)に設けた空力パーツ、通称「Xウィング」も、ティレルが1997(平成9)年に初めて用いると、翌1998(平成10)年シーズンにはコース上の風景が変わるほど、ほかのチームもこぞって同様のデバイスを導入しました。なおこの「Xウィング」、安全面に問題があるとして98年「スペイングランプリ」を前に使用禁止となっていますが、その傍ら「見た目があまりに良くないから禁止になった」という噂もまことしやかに聞かれました。

 先に触れた6輪車「ティレルP34」は、これらの発明よりも古い70年代中盤のものですが、こうしたチャレンジ精神旺盛なチームの気風のなかで生まれたものといえるでしょう。フロントタイヤを小さくすることで空気抵抗の減少を企図し、またそれにともなうグリップ力減少などの欠点を補うため、これを4輪にしてしまったというマシンです。

6輪車P34の鮮烈なデビューとその顛末

 ティレルP34は、1976(昭和51)年シーズンの第4戦「スペイングランプリ」に、開発にも深く関わったパトリック・デパイユのドライブで初めて投入されると、決勝レースではリタイヤに終わるものの、一時は3位を走行するなど早速そのポテンシャルの片鱗を見せつけます。

そして第7戦「スウェーデングランプリ」では、ジョディー・シェクターのドライブで6輪車に初優勝がもたらされました。

空前絶後の6輪車! F1の光景を何度も変えたチーム「ティレル」と「P34」を振り返る

パトリック・デパイユ(Depailler)はF1で通算2勝、うち1勝はティレルから参戦した1978年の「モナコGP」で挙げている(2019年5月9日、乗りものニュース編集部撮影)。

 富士スピードウェイで開催された同シーズンの最終戦、「F1世界選手権イン・ジャパン」においては、デパイユが2位でフィニッシュします。ちょうどスーパーカーブームが起きていた日本国内で、ティレルP34はさらにその知名度を上げたそうです。

 ところが翌1977(昭和52)年シーズン、P34は何度か3位以内に入賞し表彰台には上ったものの、リタイヤも多く、前年に比べると大きく精彩を欠くことになります。

 P34は、フロントの4輪に専用の小径タイヤ、リアの2輪はほかのチームと共通のタイヤを履いていましたが、開発の進むリアタイヤに対し、P34専用のフロントタイヤはそう進まず、シーズンが進むにつれ前後のタイヤで徐々にグリップなどのバランスに齟齬が生じていきました。これに対処するためさまざまな改造が加えられましたが、結局のところこのシーズンをもって、6輪車は姿を消すことになります。翌1978(昭和53)年、ティレルが用意したのは、普通の4輪車でした。

 ちなみに、ウィリアムズなど複数のチームがその後、F1用の6輪車をテストしたといいます。とはいえ実戦に投入されることはなく、やがて1983(昭和58)年、ルール改正において車輪は4輪までと規定され、6輪車は禁止されてしまいました。

 タミヤ本社ギャラリーに展示されているティレルP34は、デパイユの名前が入った、1976年シーズン仕様のカラーリングが施されたものです。同車プラモデルキットの開発にあたり、タミヤが入手したものといいます。

説明パネルには「タイレル」とありますが、これはティレルの、1976年当時の日本語表記に倣ったものです。

 なお、同ギャラリーの見学は無料ですが、イベント開催時をのぞき事前に申し込みが必要になります。

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