いまも昔も敵の原子力潜水艦という存在は厄介なものですが、冷戦時代は特に、有事に逃したら負けという「見えない脅威」でした。見つからないならその一帯もろとも叩けばいい、という発想の「核爆雷」、まさに時代の徒花です。
ロンドン市内にたたずむ「帝国戦争博物館(IWMロンドン)」。その館内には、イギリスが関わった紛争に関連する展示品が、第1次世界大戦、第2次世界大戦、冷戦、現代と年代別に並べられています。
ロンドンの帝国戦争博物館に展示された「アイカラ」(稲葉義泰撮影)。
そのなかの冷戦コーナーに、核爆弾や弾道ミサイルと並んで、まるでSF作品に登場する宇宙船のような見た目の、ひときわ目を引く展示品がありました。説明書きを読むに「アイカラ」というロケット推進グライダーのようですが、実はこれはただのグライダーではなく、敵の潜水艦を攻撃するためのある特殊な兵器を搭載する、冷戦時代ならではの一品でした。
オーストラリアの先住民族であるアボリジニの言葉で「投げ槍」を意味する「アイカラ」は、もともと1960(昭和35)年にオーストラリアで開発が開始され、1966(昭和41)年に同国海軍で運用が開始された艦載対潜兵器で、尾部にロケット推進装置を搭載したグライダーと、その下部に搭載される魚雷によって構成されています。
敵の潜水艦がいる海域に向け、水上艦艇から「アイカラ」が発射されると、そのロケット推進装置により加速、上昇したのち、滑空して目標へ向かいます。艦艇からの無線誘導によって正確に目標海域上空へ到達すると、グライダーの下部から魚雷が切り離され海中へ。その後は魚雷自身が敵の潜水艦を追跡し、攻撃するという仕組みです。
「アイカラ」が艦艇にもたらしたアドバンテージとは「アイカラ」が開発された1960年代前半当時、オーストラリアが位置する太平洋では、ソ連の潜水艦が大きな脅威となっていました。特に、周囲を海に囲まれたオーストラリアにとって、海上輸送路が潜水艦に脅かされるという状況はまさに国家の存亡にかかわります。そのような状況下で生み出された「アイカラ」は、潜水艦と対峙する水上艦艇に大きなアドバンテージをもたらしました。

艦艇から発射される「アイカラ」(画像:オーストラリア国防省)。
まず、「アイカラ」は約19kmという長大な射程を有しています。そのため、遠く離れた場所から潜水艦に対して安全に攻撃を仕掛けることが可能になったのです。また、アイカラはひとたび発射されると約650km/hという速さで目標海域へと飛翔します。そのため、潜水艦が当該海域を離脱する前にこれを素早く攻撃することができるようになったのです。
イギリスの「アイカラ」がひと味違うワケこのように対潜水艦作戦に大きな変革をもたらした「アイカラ」は、オーストラリアだけではなくイギリスやニュージーランド、さらにはチリやブラジルでも運用されました。なかでもイギリス海軍が運用した「アイカラ」には、オリジナルにはなかったある能力が加えられました。それが、核爆雷の搭載能力です。

イギリス海軍リアンダー級フリゲート「オーロラ」。艦首の砲が撤去され、「アイカラ」の発射装置を搭載した(画像:イギリス国防省)。
「爆雷」とは、海中に投下した後に設定した深度で爆発する対潜兵器で、「核爆雷」はその名の通り核爆発装置を用いた爆雷のことです。核爆雷は、海中の広い範囲に大きな衝撃を加えることができるため、高性能な誘導兵器がなくとも一定の範囲内に存在する潜水艦にダメージを与えることができるという特徴を有しています。
実はイギリス海軍にとっては、この「一定の範囲内への攻撃」というのが非常に重要なものでした。水中を高速で進み、なおかつ深い深度まで潜航する能力を有していたソ連の高性能な原子力潜水艦を攻撃するためには、核爆雷が必要だったというわけです。イギリス海軍では、1960年代前半に就役したリアンダー級フリゲート8隻を改修し、「アイカラ」の運用能力を付与しました。
「アイカラ」は、その優れた性能により長らく各国海軍で運用が続けられましたが、老朽化が進むにつれてシステム維持費が高額になっていき、ついには1990年代に順次退役となりました。