2019年現在、世界の旅客機市場は燃費や整備性の問題から、専用設計の機体が多数を占めつつありますが、昔は軍用機を転用した旅客機も多数ありました。なかには胴体を再設計するなどして、原型が軍用機と思えない機体もありました。
軍用機として用いられる機体のなかには、戦闘機や爆撃機などのような専用設計のものとは別に、民間機を流用したものも多数あります。代表的なのは、要人輸送機や空中給油機、早期警戒機、哨戒機などです。
B-29爆撃機が原型のボーイング377。胴体形状が異なるため、一見するとB-29の姉妹機と思えない(画像:サンディエゴ航空宇宙博物館)。
その一方、軍用機をベースに開発された旅客機も存在します。今回はそのなかで旅客機の開発史に名を残す機体を6つ紹介します。
B-29ベースのボーイング377太平洋戦争で日本各地を爆撃したアメリカのB-29は、当初ヨーロッパで戦争が始まったのを受けて戦略爆撃機として開発された機体で、日米開戦後の1942(昭和17)年9月に初飛行し、1944(昭和19)年5月から運用開始されました。
B-29は優れた爆弾搭載量と高い飛行性能を兼ね備えていたことから、初飛行とほぼ同時期に輸送機転用が計画され、輸送機型は1944(昭和19)年11月に初飛行し、C-97と名付けられました。同機は機内容積を確保するために胴体を再設計し、垂直尾翼も大型化したため、一見するとB-29の姉妹機とは思えない外観です。
このC-97を旅客機に再転用したのが、ボーイング377「ストラトクルーザー」です。初飛行は終戦後の1947(昭和22)年7月、広い機内容積を生かした、与圧された2階建て構造で、乗客と貨物をいっぺんに運ぶことができました。
旧ソ連が開発した爆撃機転用の旅客機たち爆撃機を旅客機に転用することは旧ソ連でも行われていました。
旧ソ連初のジェット爆撃機であるTu-16は、1952(昭和27)年4月に初飛行しましたが、すぐに同機の旅客機転用が計画されます。胴体をひと回り大きくし機内容積を拡大、内部を与圧化し、主翼取付位置を下げるなど大きな改造を施すことで、旧ソ連初のジェット旅客機Tu-104が誕生しました。
Tu-104は、1955(昭和30)年6月に初飛行し、翌年の1956(昭和30)年9月には早速、国営アエロフロート航空で運行が開始されます。
ただし、国威発揚を兼ねて開発を急いだため、旅客機としては使い勝手が悪かったそうです。また旅客機としては珍しく、着陸時に用いる減速用のパラシュートを装備していました。
Tu-95が原型のTu-114前述のTu-16に続いて、旧ソ連が戦略爆撃機として開発したのがTu-95です。同機も旧ソ連は旅客機に転用しました。原型のTu-95は1952(昭和27)年11月に初飛行しましたが、旅客機型は5年後の1957(昭和32)年11月に初飛行しています。

Tu-114の原型であるTu-95戦略爆撃機。2019年現在も現役で使われており、時々日本周辺に飛来する(画像:統合幕僚監部)。
Tu-114と名付けられた同機は、胴体を再設計して機内容積を広げ、上部が客室、下部が貨物室の2段構造です。尾翼や主翼はTu-95のままでしたが、機内容積を広げる関係から主翼の取付位置を下げたため、地上高が非常に高くなり、乗降には専用のタラップが必要でした。
Tu-114は、エンジンもTu-95のものを流用したため、旅客機で唯一、二重反転プロペラを装備しています。また長距離飛行に長けていたため、日ソ国交樹立後、羽田とモスクワを結ぶ便として用いられ、日本に初めて飛来したソ連製旅客機にもなりました。
輸送機転用のベストセラー旅客機たち名機として名を馳せるボーイング707も、軍用機を母体に開発されました。
KC-135空中給油機の姉妹機ボーイング7071950年代初頭、ボーイングがジェット機の優位性を見越して自社開発したのが、ボーイング367-80大型輸送機でした。1954(昭和29)年7月に初飛行すると、アメリカ空軍がKC-135空中給油機として採用し、800機以上の大量生産が行われました。

ボーイング707の原型、ボーイング367-80(画像:ボーイング)。
その一方で同社は、ボーイング367-80の開発と並行して、同機の設計を流用した次世代大型旅客機の開発にも着手しました。胴体を太くし、主翼も小改良された旅客機型はボーイング707と名付けられ、旧ソ連のTu-114に遅れること1か月、1957(昭和32)年12月に初飛行しました。
翌年の1958(昭和33)年10月からパンアメリカン航空の大西洋路線で運行が開始されましたが、100人以上の乗客を一度に運べる長距離ジェット旅客機として各国の航空会社で用いられ、総生産機数は1010機を数えます。
戦前に活躍した日の丸軍用機ベースの旅客機太平洋戦争前は、日本でも国産軍用機ベースの旅客機が存在しました。代表的なものとしては、三菱重工が開発したMC-20が挙げられます。同機は旧日本陸軍の一〇〇式輸送機を民間転用したものですが、一〇〇式輸送機自体が九七式重爆撃機の改設計型でした。
また川西航空機が開発した「川西式四発飛行艇」も数は少ないですが、軍用機ベースの旅客機になります。同機の原型は、旧日本海軍が用いた九七式飛行艇で、旅客輸送用の大型飛行艇として、戦前のごく短期間、横浜港と南洋諸島を結んでいました。