映画から英語教科書まで、広く知られる豪華客船「タイタニック」号ですが、その姉妹船2隻もなかなかに数奇な運命をたどりました。豪華客船からイギリス海軍の軍船へ、「オリンピック」「ブリタニック」の物語を追います。
豪華客船「タイタニック」号といえば、その悲劇的なエピソードで広く知られる船です。20世紀初頭に建造され、不沈船と呼ばれたもののその処女航海で沈没、乗員乗客合わせて1500人以上が犠牲になりました。20世紀最大の海難事故ともいわれ、何度も映画やミュージカルとして上演されるなどし、沈没する船のデッキで最後まで演奏を続けた楽団のエピソードなどが伝えられる一方、沈没は陰謀だったという説もまことしやかに語られるなど、沈没から100年以上が経過した2019年現在でも、根強いファンの多い船となっています。
「タイタニック」は、イギリスのホワイト・スター・ライン社が建造した豪華客船。処女航海で沈没した悲劇は広く知られる。
さてその「タイタニック」ですが、実は3姉妹の2番艦であったことはあまり知られていないかもしれません。そして、その1番艦「オリンピック」号と3番艦「ブリタニック」号も、実は「タイタニック」に負けず劣らずドラマチックな運命をたどっています。
「オリンピック」「タイタニック」「ブリタニック」という、3隻の豪華客船の建造が計画されたのは1907(明治40)年のことです。3隻とも当時人気の高かった大西洋航路(アメリカ~イギリス間)へ就航する、オリンピック級客船として建造されました。「オリンピック」と「タイタニック」は、ほぼ同時に建造されたため、そっくりな外見をしており、すぐには見分けがつかないほどであったといいます。3隻目の「ブリタニック」だけは、「タイタニック」の沈没後に起工したため、その設計は大きく見直されており、最初の2隻とは少し違った外見となりました。
客船になれなかった「ブリタニック」まずはその「ブリタニック」ですが、前述のように「タイタニック」が沈没したためその建造計画は遅れ、進水式が行われたのは1914(大正3)年のことでした。

オリンピック級3番船「ブリタニック」は1914年進水、翌1915年の竣工直後にイギリス海軍へ病院船として徴用された。
そしてその最後の航海となったのはわずか1年後、地中海でのことです。1916(大正5)年11月21日、イタリア、ナポリを出港した「ブリタニック」は折からの時化に見舞われ、さらに触雷するという不運に見舞われました。急速に浸水し、沈んでいく「ブリタニック」。急ぎ避難ボートを降下させるもスクリューに絡まり、2隻が破損。それでも「タイタニック」の教訓が生かされ、乗船していた約1000人のうち犠牲となったのは20名程度でした。
こうして、「ブリタニック」は「タイタニック」同様、その短い一生を終えることになりました。
姉妹とはひと味違った「オリンピック」「タイタニック」「ブリタニック」と、妹たちは短命に終わりましたが、1番艦として生まれた「オリンピック」は「Old Reliable(頼もしいおばあちゃん)」とあだ名されるほど長く、大胆に活躍しました。
「オリンピック」が就役したのは1911(明治44)年、「タイタニック」が沈没する約1年前のことです。当時は「世界で最も大きな船」「不沈船」という鳴り物入りの触れ込みで導入されました。
処女航海先のニューヨークでスクリューが引き寄せたタグボートに損傷を与えたり、その3か月後にはイギリス軍の巡洋艦と衝突したりと、その後の「タイタニック」の悲劇を予感させるような事故も起こしますが、「オリンピック」は運よく生き残りました。
「オリンピック」も「ブリタニック」同様、第1次世界大戦時にはイギリス海軍に徴用され、輸送船となりました。そして軍務に就いていた1918(大正7)年5月にドイツ潜水艦、いわゆる「Uボート」から攻撃を受けます。「オリンピック」はこの雷撃を回避すると、その巨大な船体を潜水艦へと突っ込ませ、体当たり攻撃を行ったのです。潜水艦は、潜行装置を破壊され、そのまま沈没しました。この行動には賛否ありましたが、当時の「オリンピック」の船長はアメリカ政府より勲章を贈られるに至っています。

オリンピック級1番船「オリンピック」の処女航海にて、ニューヨークへ初入港時のものとされる写真。
「オリンピック」はその後、沈没することなく第1次世界大戦を乗り切りました。戦後に点検を受けた際、船体下には魚雷の激突した跡が見つかったといいます。それは不発弾で、もしこれらが爆発していたら「オリンピック」は沈没していたことでしょう。つくづく運のよい船です。
その後は再び豪華客船として就役し、1935(昭和10)年に引退しました。
そのまま解体されるはずでしたが、贅を尽くした内装の一部はオークションにかけられ、イギリス人が屋敷の内装とし、さらにその後もレストランの内装などに利用されました。2019年現在も、航海図などが残されているといいます。
短命に終わった悲劇の客船「タイタニック」と「ブリタニック」、そしてその2隻の分まで活躍した1番艦「オリンピック」。「タイタニック」のみが突出して注目されていますが、その姉妹の運命も大変数奇なものであったといえるでしょう。