WW2期、アメリカ軍などでパイロット育成を担ったT-6「テキサン」は、練習機の役目を終えたのち銀幕デビューを果たします。真珠湾攻撃を描く映画『トラ・トラ・トラ!』には零戦役で出演。
1941(昭和16)年12月8日午前7時(日本時間)、ラジオの臨時ニュースで大本営陸海軍部から8日未明、西太平洋においてアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入ったことが伝えられました。さらに同日の正午には、ハワイ時間7日午前7時35分にホノルルへ初の空襲を行ったことも伝えられます。いわゆる「真珠湾攻撃」で、以降日本は、太平洋でアメリカ軍と激戦を繰り広げることになります。
さて、この真珠湾攻撃は、数々の映画で題材としても扱われています。特に有名なのは日米合作で1970(昭和45)年に公開された『トラ・トラ・トラ!』でしょうか。この映画で忘れてはいけないのが、零戦21型や九七艦攻として出演したT-6「テキサン」(以下「テキサン」)という航空機です。
この「テキサン」、実は映画界では、撮影用の戦闘機を演じる“名優”として有名なのです。
2015年に撮影されたT-6「テキサン」。アメリカ ジョージア州ムーディ空軍基地でのパフォーマンス(画像:アメリカ空軍)。
元々「テキサン」という航空機は1930年代に、アメリカ陸海航空隊向けに開発されたノースアメリカン社製のレシプロ(ピストンエンジンのこと)高等練習機です。第2次世界大戦中はアメリカ軍の練習機として、パイロット育成に従事しただけではなく、連絡、偵察、救難機などにも用いられました。
注目点はなんといってもその膨大な生産数で、総生産数は諸説ありますが、1万5千機から2万機にのぼります。ちなみに、日本で最も生産された戦闘機は全タイプを合わせた零戦で、約1万機といわれています。戦闘に参加しない練習機で、これほどの数を揃えてしまうことにアメリカの凄さがうかがえます。

2006年、アメリカ カリフォルニア州コロナド海軍基地のイベントにて披露された、T-6「テキサン」の編隊飛行(画像:アメリカ海軍)。
この「テキサン」ですが、実は軍役引退後のほうが色々な意味で有名です。その生産数の多さから民間に払い下げられた個人所有の機体が多く、アメリカのエアショーなどでは、コレクターが全米から会場まで、文字通り「テキサン」に乗って飛んで来ます。
しばしばアメリカのエアショーなどを取材しているミリタリーカメラマンによると、「『テキサン』とP-51は流通している部品も豊富で、会場でよく見かける機体」とのこと。会場の蚤の市などでは、部品も売られているそうです。
また、空冷星形エンジン搭載で細身の低翼単葉機というフォルムは、ちょっと改造すれば日本軍機に見えやすいのか、現在でもアメリカのエアショーで日米の空戦が再現されると、決まって日本軍機役は「テキサン」だといいます。
その見た目から映画界へも進出!そしてその機体の風貌を生かし、最も同機が輝いたのが映画出演です。

2006年フロリダ州ジャクソンビルにて、飛行中のT-6「テキサン」(画像:アメリカ海軍)。
その後も『太陽の帝国』(1987〈昭和62〉年公開)では零戦52型として、『エイセス/大空の誓い』(1992〈平成4〉年公開)では、麻薬組織の野望を阻止するために、対地ミサイルを搭載した改造零戦役で出演し、日本人パイロットの堀越役で出演していた俳優、千葉真一の愛機となっていました。また『遠すぎた橋』(1977〈昭和52〉年公開)では、詳細な機体名は不明ですが、P-47「サンダーボルト」と思われる役として登場し、対地攻撃シーンなどを担当しています。
実は邦画でも出演経験があり、『ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐』(1960〈昭和35〉年公開)では、九七艦攻を意識した機体で使用され、『太平洋の翼』(1963〈昭和38〉年公開)では、逆にアメリカ軍艦載機役として登場しています。
ほかにも、ドイツ映画の『U・ボート』(1981〈昭和56〉年公開)に登場する、基地を爆撃する攻撃機も「テキサン」だといわれています。
これだけ数々の映画に出演できるのは、やはり、レシプロ戦闘機としての基本形ともいえる形で、色々と付け足しやすいのと、機体数の多さにあるのでしょう。
現役時代は名教官として世界各国でパイロットの育成を担当し、引退後は、銀幕の舞台へ転身、名俳優となった「テキサン」。練習機としても撮影用改造機としても、今後ここまで名を残す練習機は現れないかもしれませんね。