冷戦時代のソ連といえば秘密のベールに包まれた国で、噂のみ伝わっていた秘密兵器が数十年後、西側諸国にようやく明らかになることがままありました。「ロケット戦車」もそのひとつ。
戦車は背の低い方が敵から見つかりにくくなりますが、その低さの限界に挑戦したような戦車が、かつてソ連で作られました。それが「オブイェークト775」です。上から押し潰したような冗談みたいな外見ですが、大真面目にソ連が研究開発していた戦車です。このずいぶんと変わった形の戦車はどんな戦車だったのでしょう。
極端に平べったい姿が特徴のソ連ロケット戦車試作車両「オブイェークト775」(2016年8月2日、月刊PANZER編集部撮影)。
「オブイェークト775」は1991(平成3)年にソ連が崩壊するまで存在が知られていなかった、ソ連の秘密兵器「ロケット戦車」のひとつです。ロケット戦車といってもロケットエンジンで走るわけではなく、対戦車ミサイルで武装した戦車のことをいいます。ロシア語ではミサイルもロケットも同じ「ラケータ」と呼んでおり、ミサイル戦車をロシア語にすると「ラケータ ヌイ タンク」となるわけです。
ロケット戦車は、1960年代に流行した「ミサイル万能論」に則って開発されました。当時は誘導ミサイルの発達が顕著で、従来の大砲から主役交代するという「ミサイル万能論」が流行していたのです。
このミサイル万能論を信奉していたのが当時のソ連最高指導者、ニキータ・フルシチョフでした。
戦車も、大砲はもう時代遅れとされ、これから未来はミサイルの時代というわけで「ロケット戦車」が着想されました。アイデアはいくつか生まれますが、外見的にも「オブイェークト775」は異彩を放ちます。かなり斬新な形ですが未来的に見えたのでしょうか、1964(昭和39)年に、実際に試作車が作られてしまいました。
狭い車内 複雑な機構 もちろん難航 その果てに…?オブイェークト775には戦車砲が装備されているように見えますが、これは火薬の圧力で弾薬を発射する火砲ではなく、対戦車ミサイル「ルービン」のランチャーです。口径は125mmで、ロケット推進式榴弾「ブル」も発射できました。「ルービン」の最大射程は4kmとされています。

「オブイェークト775」の断面図。真んなかに円形弾倉がある。
乗員は砲塔内にしか入れる余地がなく、2名とされました。車長は操縦手を兼ね砲塔の右側に位置しましたが、座席は砲塔の動きに連動せず、常に一定方向を向くような仕組みになっていました。装填手は居ないので、7発収納できる回転式弾倉の自動装填装置を備え、車体前部の弾庫から弾倉に弾を送り、これが上下して弾を装填するという構造を備えます。
こうした複雑な機構を前述のような異形の車体に詰め込もうとした開発は、予想どおり難航します。対戦車ミサイル「ルービン」は取り扱いが難しくて精度もいまひとつ、独特の自動装填装置や砲塔の構造は複雑で不具合が多発、極端に薄っぺらな車体に押し込められたエンジンや変速機は不調で調整も難しいなど、技術的課題が解決できません。しかも実用試験で、車体が低すぎて視察能力が悪いと指摘されるようでは、根本的にコンセプトが間違っていたのではないかと突っ込みたくなります。結局この未来戦車は実用化のめどが立たず、開発は放棄されました。
政権交代とともに消えた…わけではないロケット戦車ミサイル万能論の信奉者だったフルシチョフが1964(昭和39)年に失脚すると、ロケット戦車の研究も下火になっていきます。何とか実用化できたのは、オーソドックスに当時の主力戦車であるT-62の車体を使ったIT-1でしたが、生産数は約200両と少なく、2個ロケット戦車大隊が編成されただけでした。ミサイルは決して万能ではなく、政権に忖度して保身の為に開発を続ける必要は無くなったのです。
西側諸国のあいだでは、ロケット戦車は噂レベルでしか知られていない秘密兵器で、前述のようにオブイェークト775など実車の存在が確認されたのは1991(平成3)年の、ソ連崩壊後のことでした。

唯一の実用ロケット戦車IT-1(手前)。砲身はなく、ミサイルは砲塔上部のランチャー(白いカバー内)に1発ずつ自動装てんされた(2016年8月2日、月刊PANZER編集部撮影)。
ソ連、ロシアのすごい所は、こんなアイデア倒れの使えなかった戦車も廃棄せず、ちゃんと維持保管されていることです。