世界的には戦車のエンジン配置は車体後部が主流です。しかし世界には、あえて主流から外れて、車体前部にエンジンを搭載する戦車があります。
エンジンは自動車にとっての「心臓」と表現されることもありますが、エンジンが重要なのは戦車も同じです。戦車にとってもエンジンは機動力の要であり、エンジンが破壊されると走行不能に陥るため、世界のほとんどの戦車は被弾しにくい車体後部にエンジンを配置しています。
メルカバシリーズの最新型である「メルカバ」Mk.4(画像:イスラエル国防軍)。
しかし、このように重要なエンジンを、あえて被弾しやすい車体前方に配置した戦車があります。その名は「メルカバ」。中東の国イスラエルが生み出した、ヘブライ語で「神の戦車」という意味の名前を与えられた戦車です。同車は、なぜ世界の主流とは異なるフロントエンジン構造になったのでしょう。
それには、イスラエルの歴史と地政学的要因が大きく影響しています。イスラエルの建国は1948(昭和23)年5月14日です。このイスラエルの建国宣言にアラブ人は反発し、周辺のエジプトやシリア、ヨルダンなどのアラブ国家と戦争になりました。
そのような経緯から、その後もたびたびイスラエルとアラブ諸国は戦火を交えます。文字通り「四面楚歌」状態で70年以上、イスラエルは国を維持してきたのです。
エンジンブロックすら防御力の一助に建国時から国家存亡の危機にさらされてきたイスラエルは、2019年現在も徴兵制を敷いており、国のスケールからすると規模の大きな軍を有しています。
前述したように、イスラエルは建国時の戦争で多数の犠牲を出したことから、当初から国防戦略の根幹には兵士の損耗率を抑えるという人命尊重の概念がありました。その考えがあるからこそ、欧米の既存戦車に不満を感じて、自軍の戦略に合致するように独力で開発したのが、同国初の国産戦車「メルカバ」でした。

射撃訓練にて、左側の「メルカバ」Mk.2が車体後部の乗降ハッチを開放している(画像:イスラエル国防軍)。
「メルカバ」戦車は、徹底して乗員防護を優先しているのが特徴です。そのため、エンジンまでも防御用の一部材として用いるために、あえてフロントエンジンとしたのです。こうすることで、仮に敵の砲弾やミサイルが前面装甲を貫いてもその後ろのエンジンブロックで防ぎ、奥にある乗員室までは被害が及ばないようにしています。
最初のタイプである「メルカバ」Mk.1は1978(昭和53)年12月に制式化されましたが、その後開発されたメルカバシリーズのすべてで、このフロントエンジン構造は踏襲されており、最新のMk.4Bでも基本的な構造は変わっていません。
車体後部のスペースは汎用性抜群「メルカバ」戦車は、車体後部にエンジンがないため、後面に乗員の乗降ドアが設けられています。
また万一、自車が走行不能に陥った際に、乗員が車体を盾にして安全に逃げられると同時に、最前線で戦闘中に、車体後方から弾薬などを安全に補給することもできます。

「メルカバ」Mk.3の砲塔内部。「メルカバ」には自動装填装置がないため、装填手が人力で戦車砲弾を出し入れする(画像:イスラエル国防軍)。
とはいえ、フロントエンジン式にもデメリットがないわけではありません。エンジンが被弾しやすいこと以外にも、車体前部に操縦席スペースを設ける必要があるため、リアエンジン式と比べて機関室のスペースが制限されることから容積効率は悪いです。
またメンテナンス用のハッチが車体前部にあるため、その部分は防御上の弱点となります。前述した防御力強化が目的のフロントエンジン化と矛盾しますが、車体前面の装甲はどうしてもリアエンジン式よりも弱くなる可能性があります。これに関しては、装甲で防御力強化を図るか(リアエンジン式)、車両全体で防御力を考えるか(メルカバ)の違いともいえます。
このように、フロントエンジン式であることは決してメリットばかりではないのですが、それでもあえて「メルカバ」戦車がフロントエンジン構造を採用し、いまだにそれを踏襲しているのには、イスラエル陸軍に徹底して自軍将兵の流血を防ぐというポリシーがあるからといえるでしょう。