旅行会社が航空券を手配する際用いられる新国際規格NDC。普及すれば旅客はこれまでより高いサービスを受けられ、エアラインはコストを下げられるメリットがありますが、日本はその対応に慎重です。
2019年10月、JAL(日本航空)グループで、旅行会社が航空券を予約するコンピューターシステムであるGDS (Global Distribution System)を運営するアクセス国際ネットワーク社(以下アクセス社)が、2021年3月をもって事業を終了すると発表しました。
一方、そのANA(全日空)版であるインフィニトラベルインフォーメーション(以下インフィニ社)は、社長インタビューで「我々は10年後も和製GDS(後述)としてサービスを提供します」としています。
これらは、航空券流通における新規格「NDC(New Distribution Capability)」が登場したことを受けてのものです。日本の大手エアラインであるJAL、ANAで、これほど航空事業への対処方針が真逆に分かれることは極めて珍しいケースですが、なぜこのようなことが起こったのでしょうか。
手前がANAのボーイング777型機で、奥がJALのボーイング767型機(2019年12月、乗りものニュース編集部撮影)。
「NDC」は世界のエアラインで構成されるIATA(国際航空運送協会)が提唱、推進しているもので、エアラインの予約システムと旅行会社などの航空券取り扱いシステムをつなげるために用いられる通信規格です。
まず「NDCとは何なのか」「IATA、世界のエアラインはなぜNDCを導入するのか」を噛み砕いて整理していきます。
国際線の航空券販売は、エアラインのウェブサイトなどを経由する直接販売と、法人向け旅行マネジメント会社など、様々な旅行会社が行う間接販売に分かれていますが、ここでの話題は、「間接販売」を今後どう変化させるかについてです。
これまで航空券の間接販売はどうしていたのかこれまで旅行会社が、航空機の座席を販売するにはエアラインそれぞれの予約システムと繋がり、運賃、在庫、スケジュールなど航空券の状況を把握する必要がありましたが、旅行会社がたくさんのエアラインから情報を得て販売するにあたり、旅行会社自身が単独で各エアラインと個々にシステム接続をすることなど到底できないため(各旅行会社と繋ぐエアライン側の労力も同様にコスト、手間の両面で大変)、両者のあいだに入って、情報を集め旅行会社に供給、販売してくれる存在が必要でした。これがこれまでのGDSです。
GDSはいわば市場における生産者と小売業者を繋ぐ仲買人で、その存在は不可欠でした。

航空券とパスポートのイメージ(画像:写真AC)。
その結果、GDSはエアラインに対し1区間の予約ごとに5ドル(550円)前後の手数料を課し(往復なら2倍、乗り継ぎ往復なら4倍)、航空業界ビジネスにおいてエアライン、旅行会社、空港などに対し格段に高い利益構造を構築。かかったコストを手数料に転嫁するなど「損失を出しようのない」ポジションを確立してきたのです。
したがってGDSにおける「競争」とは、「同業のGDS会社との旅行会社の取り合い」で、「大手エアラインでは年間100億円以上に達するというGDS手数料」の収入を旅行会社へのキックバック(報酬)にあて、自社GDSの予約を増やす内部競争を繰り広げてきたのが実態でした。
とくに2008(平成20)年ごろから世界に広まった「ゼロコミッション政策(エアラインが旅行会社に払う発券手数料を撤廃する取り組み)」に苦しむ旅行会社にとっては、GDS会社からのコミッション(成果報酬)は恵みの雨として歓迎され、これに依存するいまの環境を変えたくないという業界革新への足かせになっているのが実情です。
GDSに悩むエアライン NDC導入で何が変わる?他方エアラインの代弁者であるIATA(国際航空運送協会)は、「GDSの弊害」を挙げ、改革が必要と訴えます。たとえば「GDSへ払う多額の手数料がエアラインの経営を圧迫している」「GDSは機能の限界に達しており、運賃の多様化、各種のサービスがワンストップで提供できないなど、旅客サービス面の進歩を阻害している」「利用者ひとりひとりへの異なるサービスやプロダクトの提供ができないなどデジタル革新が停滞している」などの問題が、航空券販売の半分を担っている「間接流通」の市場に付きまとっているとしていて、これをNDCの導入で解決しようとしているのです。

伊丹空港のJAL出発カウンター(2019年10月、乗りものニュース編集部撮影)。
NDCは、従来より提供できる情報量が多くなるため、エアラインにとって「これまで以上に多種多様の運賃、商品を表示できる」「足元が広い座席などの選択肢を提供し付帯収入につなげる」「食事や空港サービスなどの事前リクエストを受ける」「マイレージレベルに応じた個別サービスを提供し差別化を図る」などのメリットを受けられるのです。そしてそれは当然、旅客にとっても利便性の向上や選択肢の増加につながります。
こうなるとたちまちNDCが世界に普及していきそうですが、現実の歩みは遅く、IATAがNDCを提唱した2012(平成24)年から7年が経った2019年9月時点で、世界のエアラインの「間接流通」におけるNDCのシェアは未だ10%弱。
この背景には、エアラインの思惑と裏腹に、NDCにビジネスを奪われるGDS会社、GDSからの手数料収入がなくなる旅行会社の両方が、NDCの急速な普及に消極的な立場をとっていた事情があります。
エアラインの側としても、NDCを使うための新たなシステム投資を行う上でどれだけ航空券の販売範囲が広がるかを見極める必要があり、様子見のエアラインが多いのも現実です。

ルフトハンザ航空のボーイング747-8型機(2019年5月、伊藤真悟撮影)。
とはいえ、ここ数年のNDCをめぐる動きは急速に活発化してきています。ルフトハンザ航空(ドイツ)を筆頭にNDCへの移行を進めたい大手エアラインは、従来のGDSで発券する場合、GDS手数料に相当する金額が航空券価格に上乗せされるチャージを課すことで、それより割安になる自社サイトやNDCへの移行を促しているほか、アメリカン航空は、NDC経由で発券した場合に、旅行会社への報酬を支払う仕組みを作っています。
また、エアラインと旅行会社双方が直接、接続するのには多くのシステム接続作業が必要になりますが、両者のあいだに立って、多数のエアラインと旅行会社を結びつける「NDCアグリゲーター」が登場しています。現在、独立系アグリゲーターは20社以上に到達。2019年には、日本で初のNDCアグリゲーターで、インド企業を親会社とするヴァーテイル・ジャパンが設立されました。
従来規格のGDSも新たな形で巻き返し! 日本では?一方、従来規格のGDS側もエアラインの攻勢に対応します。旧来のGDSモデルでは今後の多様化、複雑化するエアラインニーズに対抗できないとして、トラベルポート社(イギリス)などの大手GDS会社は、従来の旅行会社との強いネットワークを武器に相次いでNDCに参入、「GDSアグリゲーター」としてビジネスモデルの転換を目指しています。

アメリカン航空のボーイング777型機(2019年5月、伊藤真悟撮影)。
また「エクスペディア」などのオンライン旅行会社や、「スカイスキャナー」などの旅行比較サイトも続々、自社でNDCプラットフォームを構築し、エアラインとのダイレクト接続を広げようとしています。
まさに2020年はこれらの企業行動の方向性がまとまり、NDCによる航空券流通の改革が本格的にスタートする年になるでしょう。
さて、話を日本に戻すと、JAL、ANAで当面の対応が真っぷたつに分かれた「和製GDS問題」ですが、実はこれは「エアラインとしてNDCに今後どう対応するか」が両社で大きく違うことを意味するものではありません。確かに両社のNDCへの対応が世界のエアラインに比べてペースが遅いのは事実ですが、両社がNDC対応に慎重になっていたのには日本特有の事情があります。
和製GDS会社を取り巻く日本特有の事情それは「JAL系のアクセス社、ANA系のインフィニ社という自社GDS会社の存在」「日本国内の航空券販売はできるだけ直接販売に誘導したいというエアラインの代理店流通依存への考え方」「日本大手旅行会社のNDC流通変革への意識の低さ」などです。
世界のエアラインが間接流通をGDSに支配される実情を見たJAL、ANAは1990(平成2)年ごろから相次いで、自社系GDSの会社を立ち上げました。国内旅行会社へのきめ細かい対応ができることも大きいですが、何より自社系GDSを持つことで、国内での間接流通コストを自社に還流させることが最大の目的でした。

JALの飛行機が並ぶ羽田空港(2019年5月、伊藤真悟撮影)。
アクセス社、インフィニ社とも基幹システムはアメリカやイギリスのGDSに依存しますが、日本国内の旅行会社向け営業や各種のシステム接続は自社で行い、徐々に海外のエアラインの顧客も増やして親会社依存度を減らし(2019年現在のインフィニ社のANA依存度は20%程度という)、安定した経営を続けてきました。
それがなぜここにきてJAL系のアクセス社が廃業する事態を迎えたのでしょうか。これは、まさに「NDCが普及する環境下、GDS会社はこれから生き残れるのか」という課題を白日の元に引き出したと言えます。
昨今のJAL、ANA両社は、エアラインが直販しない「間接流通」において、航空券流通コストの低減や付帯収入の増加のためには、新規格NDCの活用が必至としており、「現在の形のまま」アクセス社、インフィニ社が存続することは難しいと考えているだろうことは容易にうかがい知れるでしょう。
これから世界的にNDCによるサービスや機能の向上がさらに浸透し、短時間で利用者の属性を把握し要求レベルを実現する必要が強まることは確実視されており、GDSは「アグリゲーター」として新規格NDCで、エアラインと繋がり旅行会社に情報提供することが必要です。
その一方で、LCC(格安航空会社)などNDCを使わないエアラインも少なからず残るので、GDS会社がいきなりビジネスを失うことはないものの、エアラインが今後GDSに支払う手数料の行方は全く不透明で、GDS会社がこれまでのような安定した経営を望むことは難しいでしょう。

LCCのピーチのエアバスA320型機(2019年12月、乗りものニュース編集部撮影)。
一方、新たに立ち上がったNDCアグリゲーターの会社にも同様の問題があります。元々NDCアグリゲーターは、GDSにコストをかけたくないエアラインのニーズから生まれた会社なので、エアラインからの手数料は期待できません。しかし旅行会社からNDC使用料を取った場合、それは利用者の支払いに加わることになるので、これが市場に受け入れられるかは不透明です。
今後の航空市場では利用者が求めるものや、エアラインが旅客を自社に囲い込むためにGDS会社に要求するものがますます多くなり、それに対応するためにますます多量、上質な技術、サービス、情報が必要なことから、GDSはいずれは統合や合併を経て、いくつかのメガGDS会社に絞り込まれていき、NDCアグリゲーターと競争しながら生きていくと考えるのが妥当でしょう。
異なる方向に変化を見せたJAL、ANAの和製GDS会社このような航空業界の環境を踏まえてJALは、技術の大半を他国の基幹GDSに依存している和製GDSの会社が単独で生き残るのは困難と考え、一時は経営主権をトラベルポートに渡す形で統合することによってアクセス社を存続させようとしていたと考えられます。
しかしこれは2019年3月に一旦合意発表がされたものの、トラベルポート側の企業価値査定と最終的に折り合わず破談。結局JALとしてはアクセス社を単独維持することは将来の重荷になると判断せざるを得ず、アクセス社廃業という結末に至ったものと思われます。

ANAの飛行機。手前がボーイング777型機で、奥がボーイング767型機(2019年5月、伊藤真悟撮影)。
一方ANA系のインフィニ社については、早くからアメリカのGDS会社、セーバーと連携して、NDC機能を組み込んだパッケージの提供を打ち出し、エアライン、旅行会社への営業を行ってきました。
ANA系の「和製GDS生き残り」という課題において、短期的に見れば、JAL系のアクセス社撤退にともなった「日本市場での顧客旅行会社の流入」という恩恵があります。しかし本質的にこれまでの体制のままで、事業を維持することは容易ではなく、インフィニ社が独自で技術革新を進める困難さもあることから、将来は「セーバー日本支社」的な存続になるのではないかと見る向きが強いです。
日本市場を変革する新規格NDC 一番の問題点は?現時点で親会社のANAから、インフィニ社の将来に関するコメントは出されていないものの、インフィニ社の場合、今後は前述したような独立系のNDCアグリゲーターの日本市場の参入があることから、同社GDS事業(人員)のスリム化は避けられず、その上で旅行会社や航空旅客へのサービスレベルの差別化・多様化を図っていくしかないのではないでしょうか。
用語の解説も含め新規格NDCがもたらす日本市場での変革について話してきましたが、実はGDS会社の存続以上に深刻なのが、JTB、HISなど大手旅行会社の将来だと筆者(武藤康史、航空ビジネスアドバイザー)は考えています。

中部国際空港の出発ロビー(2019年10月、乗りものニュース編集部撮影)。
これらの旅行会社は、現時点でも自社各種システムとの接続問題(NDCでの販売を自社経理システムに接続するコストや時間がかかる)などから、NDCへの対応、そして世界の潮流であるデジタル化への対応が遅れていますし、そのことへの危機意識も高くはありません。
これらのシステムは、エアラインと旅行会社のやり取りで使う「B to B(企業間の話)」の話なので、利用者にとっては旅行会社で購入する商品がGDSを経由したものかNDCなのかは分かりません。そのためNDCはどうしても「B to C(企業と利用者)」の航空マーケットでは消費者にとって分かりづらい話題なのですが、今後の航空業界においては航空券の売り方を劇的に変える可能性のある要素なので、あえて解説を試みました。
筆者としては、日本においてアグリゲーターなど新たなプレイヤーの参画によって新規格NDCが進化、定着し、それにともなって、このようなテーマが業界の話題としてさらに深く議論されることを期待します。