第2次世界大戦中、イギリス本土から飛来する連合軍の戦略爆撃機に手を焼いたドイツは、ロケット技術を用いて使い捨ての迎撃機を開発しました。わずか2分弱で高度1万2000mを目指す戦闘機とはどんなものでしょう。

一直線に成層圏を目指す「蛇」

 第2次世界大戦中、ドイツはロケット戦闘機Me163「コメート」を実用化しました。同機はロケットエンジンで飛翔する世界唯一の実用戦闘機として、航空史上に名を刻んでいますが、それ以外にもドイツは様々なロケット戦闘機を開発していました。そのなかでも一風変わった、垂直離陸が可能なロケット戦闘機として計画されていたのが、Ba349「ナッター」です。

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イギリス軍に接収されたBa349。機首に24発のロケット弾が見える。その上に立つアンテナのようなものは射撃時に使う照準環(画像:アメリカ空軍)。

 Ba349は、どこが変わっていたかというと垂直離陸のやり方で、現代の宇宙ロケットのように、ほぼ垂直に射出する方式をとっていました。そのため、主翼は揚力を生み出す必要がないことから非常に小さく、尾翼は姿勢を制御するために十字型に取り付けられていました。

 またBa349は着陸を考慮しておらず、最終的にパイロットはパラシュートで脱出し、機体は使い捨てでした。そのため貴重な金属部品は最低限に抑えられ、機体の大部分は木製でした。

 こんな異様な戦闘機を発案したのは、エーリッヒ・バッヘム博士です。彼は「ロケットの父」として知られるフォン・ブラウン博士とともに、ドイツのロケット開発に貢献した人物で、有人戦闘機を開発したのはこの機体が唯一です。

 ただし戦闘機でなければ、彼は1930年代にスポーツグライダーを開発していたほか、その後、飛行機メーカーのフィーゼラー社に技術者として在籍したこともあり、飛行機にまったく携わったことがないわけではありません。

 ちなみに「ナッター」とは、ドイツ語でナミヘビという蛇の一種のことです。

わずか100秒で使い捨て

 実際の運用方法はかなり特殊でした。カタパルトは高さ約24.5mで、機体と左右の主翼の端の3か所をレールにセットします。射出のために胴体側面には左右2本ずつ計4本の補助ロケットが付けられ、パイロットは真上を正面に操縦席に着座します。

 射出時は、胴体内のメインエンジンは使わず、補助ロケットが約10秒間作動し、これで上空へと打ち出されます。補助ロケットが燃え尽きた後、胴体内のメインロケットに点火します。

「迎撃機 垂直に打ち上げたらどうだろう」ドイツBa349の能力とは「有人対空砲」の評も

アメリカ軍に接収されたBa349。タイヤやソリなどの降着装置がないため、移動は運搬用トレーラーで行う。後部に補助ロケットが付いたまま(画像:アメリカ空軍)。

 機体は約60秒で高度1万2000mに到達し、残りの40秒弱で飛来する米英の爆撃機群を見つけ接近したのち、距離約550mで機首に装備した24発のロケット弾を一斉に発射します。そして戦果を見極める暇もなく、敵爆撃機の編隊から遠ざかり、胴体内のメインロケットが燃え尽きたらパイロットは機体から脱出し、パラシュートで地上に降りる一方、コントロールを失った機体は地面に墜落し、運用終了という流れでした。

 機体自体を飛ばすことはそれほど難しくありません。しかしパイロットが乗り込み、短時間で敵機に攻撃を仕掛け、そののち機体を捨てて生還するというのは、かなり難しいミッションでした。

 実際、1945(昭和20)年2月28日に初の有人飛行を実施した際、射出時の衝撃でパイロットが失神してしまい、墜落しています。

 その後、3度のテスト飛行に成功し、量産にゴーサインが出たものの、滞空時間の短さが指摘され、改良が続けられます。終戦までに36機が完成しましたが、実戦投入されることはありませんでした。

 前述したように、あまりに特殊な運用だったため、Me163「コメート」などに興味を示したアメリカやイギリス、ソ連などの連合国も、Ba349にはあまり興味を示さなかったようです。それでもアメリカでは2か所の博物館に機体が残されており、いまでもその異形を見ることは可能です。

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