2010年代初頭、「MOTTAINAI:もったいない」という言葉が環境問題で注目されましたが、イスラエルはタダで手に入れたとある戦車を実に大事に、戦車として使えなくなっても改造してまで使用してきました。
親米国家のイスラエルがソ連戦車を大量使用したワケイスラエルは1948(昭和23)年の建国以来、アメリカやイギリスに準じた兵器体系をとってきました。
しかし、かつてイスラエルは旧ソ連が開発したT-54戦車およびT-55戦車を大量に運用していました。もちろん、イスラエルと旧ソ連のあいだに、軍事交流はほぼありません。
1973年の独立記念式典で行進するイスラエルの「チラン」。主砲はイギリス製105mm砲、砲塔上部の機銃はアメリカ製のM1919(画像:イスラエル国防軍/IDF)。
実はイスラエルが使っていたT-54/55戦車は、旧ソ連から正規ルートで供給されたものではありませんでした。どう手に入れたかといえば、戦争で敵軍が戦場に放棄していったものを回収し、自軍の兵器として転用していたのです。
始まりは1967(昭和42)年6月に起きた第3次中東戦争でした。この戦争は、イスラエルが周辺のエジプトやシリア、ヨルダンといったアラブ諸国に対して奇襲攻撃を行うことで始まりました。
当時アラブ諸国にはソ連が兵器供給を行っており、そのなかに多数のT-54/55戦車も含まれていました。しかし、イスラエルの奇襲で虚を突かれたアラブ諸国の軍隊は兵器を捨てて退却したため、イスラエルはT-54/55戦車を含む各種兵器を大量に奪取します。
イスラエルは建国以来、国土を守るために軍備の増強を進めており、第2次世界大戦の中古兵器や敵軍の遺棄兵器などを、修理し自軍装備として使うといったことを昔から行っていました。
T-54/55戦車は、第2次世界大戦後に旧ソ連が開発し、ポーランドやチェコ、中国といった国々でもライセンス生産されたため、総数10万両以上を誇る世界最多の量産戦車で、約70か国で使用されています。T-54とT-55のおもな違いは、NBC(核、生物、化学)防御力の有無や、エンジン出力、砲弾や燃料の搭載量などで、外見的にはほとんど変わらないため、多くの場合、同一の車両としてカウントされています。

1974年の第4次中東戦争で、スエズ運河西岸のエジプト領内を進撃する「チラン」戦車(画像:イスラエル国防軍/IDF)。
前述したように、第3中東戦争でアラブ諸国から大量に捕獲したT-54/55戦車を「チラン」の愛称で使い始めたイスラエルでしたが、アメリカやイギリスの兵器体系で装備を揃えていたため、いくら数が多いといえども、運用するうえで互換性のないことが問題になりました。
そこで、まず搭載機銃などをアメリカ製の7.62mm機関銃M1919や12.7mm機関銃M2などに交換します。そののち、主砲も当時の西側標準だった105mm砲に換装し、こうして弾薬の互換性を達成しました。
1970年代半ば以降になると、より本格的な改良として、レーザー測距儀や射撃統制装置(FCS)、赤外線暗視装置、主砲安定装置なども西側規格に準じた独自のものに改修、結果「チラン」は、見た目はT-54/55戦車であっても性能はまったく別の戦車へと進化します。
使えるものは大事に使う 「チラン」改め「アチザリット」1970年代末、イスラエル初の国産戦車「メルカバ」が登場し、1980年代に入って運用数が増えると、「チラン」は予備装備に回されるようになります。それでもイスラエルは、「メルカバ」の運用数が増えたからといって「チラン」を退役させることはせず、今度は砲塔を外しAPC(装甲兵員輸送車)として使うことを計画しました。

「チラン」戦車の砲塔を外し、装甲兵員輸送車に作り変えた「アチザリット」。足回りにT-54/55戦車の面影が残っている(画像:イスラエル国防軍/IDF)。
戦車であった「チラン」は、最初からAPCとして作られたアメリカ製のM113装甲車などよりも強力な装甲を持っています。そこでイスラエルは、エンジンをコンパクトなものに載せ替え、空いたスペースを通路にして車体後部にも乗降ハッチを設けるなどの大改修を施し、「チラン」をAPCに仕立て直しました。
こうして生まれた新型APCは、新たな愛称として「アチザリット」と名付けられ、1990年ごろから第一線で使用が開始されました。そののち、履帯(いわゆるキャタピラ)を「メルカバ」と同じものに変えたり、防御力強化のために増加装甲を増設したりして、2020年現在も「アチザリット」の運用は続いています。
使える兵器は最後まで有効活用し、国防の任を果たす。T-54/55改め「チラン」、そして「アチザリット」には、イスラエル軍の徹底した国防思想が垣間見えるといえるでしょう。